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>これより下の部分は、言語と思惟・行動の関わりを述べたもので、名詞中心の欧米語圏での観念論を、形容詞・動詞中心の日本文化の行動様式に当てはめることの齟齬を語ろうとしたけど、アメリカ人には無理なようなので割愛。
と書いたばってん、日本語が苦手なアメリカ人から「バカじゃないの」とアメリカニズム丸出しの放言を放置しとっては、反差別にも取り組んだ玄洋社系博多っ子右翼の末席を名乗る者としては名折ればい。
えぇっとですね。こういうことです。
1.「男らしい女らしい」:形容詞=美意識からくる評価の形容
2.「男らしさ女らしさ」:形容詞の名詞形=美意識内容の観念化
3.「男らしくする女らしくする」:形容詞の動詞化=美意識の実践
4.「男らしくしろ女らしくしろ」:美的な行動を実践するよう求める
↑「1」の段階から問題にするのと「4」の段階から問題にしてくるのとではまるで違ってくるわけです。日本語の通常の受け止め方としては「男らしさ女らしさではなく自分らしくしましょう」と言った場合、これまであった男や女についての、観念化された美意識内容を放棄するよう要望していることになるわけだし、多くのこの言説は実際にそのような内容です。
macskaさんなりに注意をはらって「男らしさ女らしさの規範を問題にする」という表現をされたのは、この美意識が規範化する局面を言いたいのであろうけれども、上記のどの段階をどのように問題にしているのか、やはり日本語としては漫然としていて大変にわかりにくい、非論理的な印象論なんですよ。
【ma】
>さて、ジェンダーの制度だって従うかどうかは自由意志なのだから「問題ない」という意見には、いくつかのレベルでこたえることができます。
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>まず第一に、逮捕されなくても実際に雇用や住居などにおける差別が存在することが指摘できます。「従来通りのひな祭りを家庭において祝ったために雇用差別を受けた」例はおそらくないでしょうが、「男らしさ」「女らしさ」の規範に従わないために雇用差別を受けた人は現実に存在するわけですから、同列にはならべられない。
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>第二に、雇用差別のような直接な形でなくても、特定の性役割分担を前提とした社会設計が行なわれていることにより、「男らしさ」「女らしさ」の規範に従わない人が非常に損をするということがあります。具体的には、専業主婦とフルタイムの男性労働者のカップリングを前提とした社会保障制度や税制、雇用慣行などがありますね。それら制度的な理由により、性役割分担に従わない生き方を選択した人は、そうしない人に比べてとても苦労することになります。この点も、あなたがそうした状況に配慮するべきだと考えるかどうかは別として、ひな祭りの祝い方によって実生活上大きな困難を抱えることはないわけですから、少なくともそれと同列には並べられないことは分かるでしょう。
これ↑を、
*ジェンダー→個人の男女観に影響を与える社会通念的な男女観や、それにもとづく諸制度*
*「男らしさ」「女らしさ」の規範に従わない→「男らしくしろよ」「女らしくしなさいよ」と苦言を言われても意に介さない*
として、以下のようにこなれた日本語に直してみます。
【和訳】
>>さて、個人の男女観に影響を与える社会通念的な男女観や、それにもとづく諸制度だって従うかどうかは自由意志なのだから「問題ない」という意見には、いくつかのレベルでこたえることができます。
>>
>>まず第一に、逮捕されなくても実際に雇用や住居などにおける差別が存在することが指摘できます。「従来通りのひな祭りを家庭において祝ったために雇用差別を受けた」例はおそらくないでしょうが、「男らしくしろよ」「女らしくしなさいよ」と苦言を言われても意に介さないために雇用差別を受けた人は現実に存在するわけですから、同列にはならべられない。
>>
>>第二に、雇用差別のような直接な形でなくても、特定の性役割分担を前提とした社会設計が行なわれていることにより、「男らしくしろよ」「女らしくしなさいよ」と苦言を言われても意に介さない人が非常に損をするということがあります。具体的には、専業主婦とフルタイムの男性労働者のカップリングを前提とした社会保障制度や税制、雇用慣行などがありますね。それら制度的な理由により、性役割分担に従わない生き方を選択した人は、そうしない人に比べてとても苦労することになります。この点も、あなたがそうした状況に配慮するべきだと考えるかどうかは別として、ひな祭りの祝い方によって実生活上大きな困難を抱えることはないわけですから、少なくともそれと同列には並べられないことは分かるでしょう。
どうですか?異様な文章になってしまったでしょう。もう一つのキーワードをこなれた日本語に直してみます。
* 夫婦の性役割分担→「夫の役目・妻の役目」*
そのうえで、こうした論は「個人の価値観ではなく制度を問題にする」「制度と不可分の個人の意識も含まる局面がある場合には、できるだけその価値観の可否に対しては中立とすべき」であるために、以下のように改作します。これが、私の先のレスの意図です。
【改作】
>>さて、個人の男女観に影響を与える社会通念的な男女観や、それにもとづく諸制度だって従うかどうかは自由意志なのだから「問題ない」という意見には、いくつかのレベルでこたえることができます。そこで、もっともよくある「男ならこう」「女ならこう」という規範的な男女観を考えましょう。
>>まず第一に、「男らしくない」「女らしくない」についてですが、これは美的評価ではあっても制度ではありません。やや規範的に共有されている部分も主観的な好みの部分もあり、様々です。もちろん迫害されなくても実際に恋愛や交際などにおける不利益が存在することなら指摘できます。しかし「従来通りのひな祭りを家庭において祝わなかったために雇用差別を受けた」例は現実には存在しないでしょうし、「男らしくしろよ」「女らしくしなさいよ」と苦言を言われても意に介さなかったために雇用差別を受けた人もおそらくいないでしょうから、同列にはならべられない。もし万一こうしたことがあっても、それは個別に発生した不当な事例でこそあれ、それを「差別」とすることはできません。*そう考えるべき理由については、下記URLを参照してください。
http://otd3.jbbs.livedoor.jp/372472/bbs_tree?base=2351&range=1
http://principle.jp/bbs5/c-board.cgi?cmd=one;no=739;id=keya1984
>>
>>第二に、「夫の役目」「妻の役目」についてですが、これは雇用差別のような直接な形でなくても、特定の性役割分担を前提とした制度上さまざまな社会設計が行なわれていることにより、「夫の役目」「妻の役目」という固定観念に従わない(従えない)人が非常に損をするということがあります。具体的には、専業主婦とフルタイムの男性労働者のカップリングを前提とした社会保障制度や税制、雇用慣行などがありますね。それら制度的な理由により、夫婦分業制に従わない生き方を選択した(せざるを得なかった)人は、そうしない人に比べてとても苦労することになります。この点も、あなたがそうした状況に配慮するべきだと考えるかどうかは別として、ひな祭りの祝い方によって実生活上大きな困難を抱えることはないわけですから、少なくともそれと同列には並べられないことは分かるでしょう。
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