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> 「らしさ」を色気とか美意識とかではなく規範だとしてもですよ、
> あなた、そうしたものが個人の意識を離れたところに存在してる
> と思ってるの?
それを言うなら、高度成長期モデルの家族形態だって個人の意識から離れたところに存在しているわけではないでしょう。家族や労働の形態というのは個人の意識とは繋がっているけれど、特定の意識のあり方に基づく形態を優遇したり差別したりしない、というのが大原則であるはずです。
それも認めないというならそれは一つの立場ですよ。しかし、そこまで認めておいて、「家族形態」以外の面においては「男らしさ・女らしさ」の規範による差別や優遇を容認するというのは筋が通らない。「そうしたものが個人の意識を離れたところに存在しないから」という理由をあげるのは、さらにもっと筋が通らない。
> というか、「男らしい・女らしい」というのは形容詞。その人の、
> ある場面での様子が形容されているんですよ。それは一種の美的
> 評価なんだから、それ自体が規範ではないのです。
だから、わたしは一貫して「男らしさ・女らしさ」ではなく「らしさの規範」を問題としているでしょーが。それ自体が規範であると一度でもわたしが言いましたか?
> 「男らしくしろ・女らしくしろ」と命令形の動詞語尾をつけて初め
> て「従う・従わない」になるわけね。
命令形にしなくても、例えば雇用差別を受ければ経済的な圧迫になりますね。
> だから形容詞の段階から問題にあげるなら、そりゃ美意識を問題に
> することでしかないわけですよ。
いつ誰が「形容詞の段階から問題にあげ」ましたか? バカじゃないの。
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