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前投稿でフランス国民戦線党首ルペン氏の「EUのせいで私たちは金融面、予算面、立法面での主権を失い、自分の運命を自分で決することができなくなりました」という言葉を引用しました。
先日、ギリシャ総選挙で勝った急進左派連合のチプラス現首相は勝利宣言において「壊滅的な緊縮は終わった。恐怖と独裁、屈辱と苦難の日々は終わった」という表現をしました。
「恐怖と独裁、屈辱と苦難」という言葉は大仰にみえますが、「自分の運命を自分で決することができなくなった」(ルペン党首)ことや厳しい財政緊縮政策のことを指しているだけではなく、一元的な通貨制度によって、優劣の価値基準までが一元化され、ギリシャ人が「いいかげん、怠け者」の烙印を押されたことも指しているでしょう。
人間は、個人差の他に、地域性とか国民性というものもあるわけで、ギリシャ人にはギリシャ人の、イタリア人にはイタリア人のいいところがあるでしょう。こつこつ働いてせっせと貯金をするというタイプではないが、明るく、屈託がなくて、見ず知らずの旅行者でも困っていたら自宅に泊めてやる、そんな人が多いという話を聞きます。金持ち国家ではなくても、自分を肯定し、ギリシャ国民であることを肯定して生きてきた。
ところが外部にあるたった一つの価値基準で、ただただ「怠け者」「ダメなやつら」の烙印を押され、貧乏生活を強いられる。これは辛いことです。貧乏それ自体より、烙印の方が辛い気がします。貧乏なら耐えられても、一つの価値基準で個性も地域性も国民性も根こそぎ否定されるとしたら、それは耐えがたいことに違いありません。「屈辱と苦難」という言葉は大袈裟でも何でもなかったのだと思います。
とはいえ、一度約束したことは果たせねばなりません。ギリシャは既に債務や返済に関して多くの約束をしています。政権が変わったからといって「やーめた」というわけにはいきません。
国内の約束事なら国内の手続きで変更できますが、国際的な約束事は国内世論が変わっても、もう変更するのは困難です。
他山の石とすべきでしょう。
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