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論文にインチキがあってもSTAP細胞が存在してればOK、みたいな意見をよく見聞きします。STAP細胞の存否に比べれば論文の捏造など小さなこと、みたいな考え方。
有名人の例を取り上げると、たとえば小林よしのり氏の「形式主義(論文)が創造物(STAP細胞)の証明ではない」と題するブログ。
ttps://www.gosen-dojo.com/index.php?key=jophptcua-1998
「官僚主義的、形式主義的な技術批判が、漫画の創作には何の関係もないのと同様に、たかがネイチャーに投稿した論文批判など、科学の発明・発見には、何の関係もない。わしはそう考えている。」
漫画の創作(フィクション)と論文(事実の主張・伝達)を同列に扱うマヌケさはともかく。
この論法でいくなら、朝日新聞のサンゴ礁記事捏造事件の場合でも、記者の自作自演による捏造記事はOKということになるでしょう。少なくとも自然が傷つけられているという事実の発見とは何の関係もない。
あるいは、歴史学者A氏が初めて韓国人慰安婦強制連行の存在を示す証拠を見つけて「強制連行あった」という論文で話題となり、その後、その証拠が捏造だったことが判明したとする。それでもその論文への批判は、A氏の「発見」とは何の関係もない。
書いてて馬鹿馬鹿しくなってきたのでやめますが、なんでこんなアホことを大真面目に言う人たちが跡を絶たないんだろう。不思議だなあ。
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