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本はまだ半分ほどしか読んでいませんが、まだ未読のラカン本はあと2、3冊はじっくり読んでみようと思っています。
…しかし、ある女が乳癌の手術をして、その病院でできたガン友達みたいな人達5〜6人は(自分以外の一人を残して)みんな死んでしまった。しかし私は生きている、これは宗教=信心のお陰(功徳)だみたいなことを信じている人がいるのですが、こういう人に対して、みんなはどんな感情を抱くんでしょうかね。
しかもその人の親類は同じ宗教でかつ剛信であったにも拘わらずガンで苦しんで死んでしまったというのに、そこで「功徳」はないだろうと思うんですよ。
ここで「信心のお陰でわたしは今も生きている」という人の論理≒心理的リアリティを、普通の人はどういう論理で崩すんですかね。
私の場合は、罹患率やガン死亡率に宗教は無関係だから、キミの生存は何も珍しくない単なる偶然だ。
だから、キミがそう思うのは生き残ってしまったキミだからこそ思える「選択効果」や「観測選択効果」のようなものだ、みたいなことくらいです。
キミが死んでいてもまったくおかしくない状況で、キミが生き残ったのは単なる偶然であって、同じ状況で死んでいった信者もたくさんいるはずだ。しかし、死んでいった信者のことは組織にとってはマズい要素だから隠されがちになっているだけなんだよ、と。
だけどこれが解らないんだよな、カブレている人には。
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「選択効果」とは、観測者の性格や能力が、観測される対象の層を偏らせてしまう現象である。よく出される例は、星の明るさの統計をとる場合である。星を一つ一つ観測して、視差やスペクトル線の分析から絶対光度を記憶していったとすると、絶対光度の高い星を数えすぎることになる。かかるい星は遠方にあっても見えるのに、暗い星は近くになければ見えないからだ。
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このような、観測者の能力や立場によって観測結果にあらわれる偏りを補正すること−−「選択効果」を消すことが、客観的データに基づくべき実証科学では重要となってくる。そして、選択効果の中でも最も根深いのは、人間の感覚器官や測定装置の性質や感度といったことでなく、観測者の存在そのものが対象を選択してしまう場合である。それを特に「観測選択効果」と呼ぶ。
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つーか、まだうまい説明がありそうだな。
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