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ラクシュンさん、
>>「暴力装置」という仙谷官房長官の発言を問題にする国会はさすがです。腐っても国会というか。
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>ここも性格上即レスしておきますが、何が「さすが」なのですか?
>そこに猛反発(までは全然程遠いけど)するのは当たり前中の当たり前でしょうに???
一般人が反発したり奇妙に感じたりすることには驚きません。私が「さすが」と思ったのは、「暴力装置」という語をとうに知っていて、馴染んでさえいるはずの人たち(=政治に関する知識豊かな高学歴の議員たち)が、即座にその語を不適切と判断したからです。
ラクシュンさんによれば、田原氏は擁護したそうですが、私の認識では、政治・社会系の評論家の大半が田原氏と似た反応であろうと思います。つまり、知っている語、馴染んでいる語に対して人はある意味鈍感になるもので、一般人からすればジャルゴンにすぎない語を平然と使い、知らないで怒ったりする人がいれば反省するどころか「こんな言葉も知らないのか」と馬鹿にしたりすることがよくあります。
私のみるところ、あの予算委員会の場で非難の声をあげた議員たちは、実はこの語をよく知り、場が違えば非難などしない、ところがあの場では即座に不適切と判断し、あたかもそんな言葉を初めて聞いたと言わんばかりの演技を交えて非難したのです(まあ中には本当に初めて聞いた人もいたでしょうが)。このバランス感覚に、さすが日頃から有権者と接している人たちだ、変な言い方ですが「腐っても選良だな」と感心したわけです。これはすぐに「暴力」を「実力」と言い換えた仙谷長官も同様です。
遡って、「暴力装置」という訳語そのものについていえば、ドイツ語のGewaltに「暴力」という日本語を当てたのがそもそも不適切だっただろうと思います。確かに「暴力」という意味もありますが、政治学系で使われるGewaltは英語でいえばpower(権力)、あるいは軍事力という意味でのforceですからね(violenceではない)。
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