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>で、日本列島でも「縄文語」という一つの言語があったわけではなかろう、というのは多くの言語学者の共通理解のようです。
有力な学説であっても「ようです」「なかろう」と確実さを自身の責任で保証できない臆測をお書きになるのでなく、沈黙こそを強くお勧めします。
国語・アイヌ語を「類縁を持たない」と評価なさる決定打には一切なりません。かうではないああ云ふ可能性が高いと誰かが云ってゐる、ではです。
不快事への考へが違ふ「屈弊(↑)」にはさう云ふ扱ひこそが相応しいと云ふのならそれでも結構です。私が何かの損をする訣ではありません。
ただし、あの芥屋さんが仰るのかと驚くのは、もう一つのハンドルの文字化け、バジル「莫益」以上の議論の場の死、負の損害しか無いからです。
ですので徒労感は無限大です。と云ふか、反「ハラスメント」が高じて誰かが嫌がる異論への不正義を実践するのなら、ひとつ質問をしませう。
不快と思ったら故意如何によらず不道徳だとの恐らくは私以外の一致点に照らし、マゾでもない私がこの問答の不毛をどう感じてをるとお考へです?
>倭人のほうだと弥生時代を通じて相当に大陸・半島系の移民の混血がありますでしょ?
有史以来大和民族の蔑称であるのが殆どの言葉が冒頭にあるのは偽悪の演技ですかね?
>一方で、ではアイヌは“純粋な”縄文直系かというと、こちらも北方民族の混入が文化的にあったことははっきりしてますので、やはりかなり混ざってるかもです。
抽象的な内容にも拘らず好感するのは、差別語とするケチが正当ではないことが証明された民族呼称を用ゐてゐる、つまり私と共通の用語法であるところです。
(8日投稿に後ろ2コマ=引用部除く=加筆)
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