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洒落になっていない差別の...[26]  /  首位決戦_まず先勝!![4]  /  ジェンダーとジェンダーの...[4]  /  閑話休題 奴隷制度の歴史[4]  /  【VIP】macska様の「文革...[1]  /  

洒落になっていない差別の話
 芥屋  - 06/10/7(土) 23:45 -

引用なし
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   http://principle.jp/bbs5/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=790;no=979;id=keya1984
↑の続きです。まず、この中でmacskaさんの特に目に付いたレスのうち少しだけ感想を書いときます。ご参考までに。

>会社で毎朝キリスト教のお祈りをするように強要されたら、その会社がキリスト教関連会社でもない限り問題でしょう。ところが現実に、化粧品のモデルとして採用されたわけでもないのに、毎日化粧をするよう強要されている労働者がいるわけです。

キリスト教関連会社でもないのにそんな会社あるわけないじゃん…って、あぁそうか、キリスト教系のカルト教団が表向きは一般の会社のように見せかけて、入社した人をいつしか洗脳したら…ということか。それは別の問題だよな…。ところが、普通はモデルでなくても女は化粧したがるものだろうけど、それもカルトの洗脳と一緒じゃないか(自発的だと思われているが強要されて刷り込まれたもの)ということかな、この文脈だと。

>ジェンダーの規範による差別というレベルでは訴えている人はたくさんいますよ。例えば、化粧するよう上司に言われたが拒否したため解雇されて裁判で争っている人がいますが、彼女は「どうして男性は化粧をしなくても解雇されないのに、女性だけ化粧することが義務とされるのか」と主張しています。

これ見て、まず「これはどこの話?」と思いました。だって日本人の普通の職場感覚で言えば、窓口などの接客部門はともかく純粋な内勤業務の場合、「化粧くらいしろよ」と言われるようなことって、ほとんどないと思うし。そもそもそういった感覚はあまり強くないんじゃないかな。仮にそう思う人がいても、それを実際に本人に向かって口にするような人は、「セクハラよ!」以前に「無神経なやっちゃな」と言われると思う。

それよりどっちかって言うと、「職場なんだから、そのケバい厚化粧はどうにかならんか」と思われるケースのほうが多いと思う。でも、これはこれで言いにくい。逆にいつもスッピンだとして、不快に思われたり文句言わたりすることって、ほとんど思いつかない。だからその話、何だかすんごいアメリカっぽいなぁと感じて検索してみたら…

http://www.usfl.com/Daily/News/06/09/0915_017.asp?id=50508
↑これか…。何だぁ、典型的なジェンダー教徒のヴァカ女じゃんw やっぱりアメリカか、と思うと同時に、敗訴になって当たり前だって。カジノで、この店の方針だろ? もちろん、「バーテンダーだということで就職したのに、実際には性風俗のホステスみたいなことをさせられるとわかった。抗議したら解雇された」とかなら、そりゃぁ不当な話だけど。

こんなもんを「差別」の「実例」に挙げてたのか…。つうかこれ、活動家がワザとやってたりして。そういう服務規定の店だとわかってて、抗議して解雇されることを見込んで裁判闘争をして。そこで自分たちの主張に世間の注目を集めようとする「戦略」だったりして。

しっかし、こうなるともはや誰のための運動なのか。少なくとも普通の働く女のためのものではないな。ジェンダー教徒が宗旨を職場で実践しても良いではないか?という訴えだな。でもその宗旨の実践というのは、そこの職場で規定を変えさせることだから、そんな信者は雇ってもらえなくて当然かと。ムスリムの職員が「定時に、空き部屋でいいからメッカにお祈りさせてもらえんだろうか。業務に支障をきたすようなことはないので」と相談するような話とは、まったく違うし。だから、

>イスラム教徒の社員を採用したところ社内で休憩時間にお祈りをするようになったら、激しくその場の雰囲気から外れてしまうわけですが、それをやめろというのは宗教差別でしょう。従って、「場に合わせることを求める」というのは無制限に認められるわけではありません。

これはちょっと。それこそムスリムへの偏見じゃないかと。私がその手の報道番組で見たのは、異教の地で暮らすムスリムの謙虚で敬虔な態度。「私はムスリムだ!私を雇った以上、社内のどこででも定時にお祈りさせていただく!」なんて横着な態度を取るムスリムなんて見聞きしない。日本で働いているムスリムも少なからずいるわけだけど、「職場の雰囲気を壊すことに無頓着なムスリム」とか「雇ったムスリムにお祈りの時間も場所も与えない職場」とかいったようなものはどちらも不寛容だと思う。だけど実際には双方が、場に合わせ、相手に合わせしていることが多いのでは。万国共通のことだと思うけど。

それに、基本的なこととして「棲み分け」をしていると思う。ムスリムのほうから見て、働きたい業種で同業2社があるとする。イスラムに偏見が多いA社と、イスラムに偏見が少ないB社。そしてB社には、先輩のムスリムもいるわけね。そしたら新参のムスリムはB社を希望するでしょう。わざわざA社に乗り込んでいって「勤務中に職場で礼拝させないのは差別だ!」なんて言うムスリムの話は聞かないな。コミュニティって、そうやって形成されていくものだと思う。

ジェンダー教徒から見れば、日本はおろか欧米と比べても厳格な男女別の規範の多いイスラムは、ただそれだけで「差別文化圏」ということになりそうなんですけどね。

>今ここで話しているのは、「ジェンダーの規範による差別」というものが(わたしの定義するところの)差別として成り立っているかどうかです。

私が「成り立たないと思うけどどうか」と尋ねたことに対して、「いいえ、自分の中では、このように成り立っている」ということで、一例としてスカートなど服飾の話になったのでした。

服装や化粧その他の装飾品についても男女で異なる基準があると差別…という世界観には、もはや反論するとかしないとかいう次元じゃないような気がする。信者さんのその世界観には、「反論」は無意味というか。

「なぜこの信者さんは、こんな主張をするのだろう」「その主張は、肝心の教義とも異なっているんじゃないかな」と思って尋ねてみると、信者さんは、よくぞ聞いてくれましたとばかりに嬉々として教義の意味と主張の兼ね合いを語る。そこで、観念的な部分よりは具体的な事柄について語られる部分に注目するんだけど、そのあたりになると、およそ現実社会のこととも思われず、「あぁ、聞いちゃ悪かったかな」と感じ始める…今、そんな感じです。

漫画バナシ
 芥屋  - 06/10/22(日) 23:27 -

引用なし
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   >バジル二世さん:

>世界制覇を企む日米欧大資本連合に超能力狼少女が立ち向かうなんて漫画も80年代にはありました。「花とゆめ」で絵がうまかったから結構好きで見ていました。

「花とゆめ」というと、『パタリロ』しか思ひ出せない…!

タメなのでお聞きしますが、ガキデカ派とマカロニ派に分かれてませんでしたか?そんでパタリロもわけ入って来るんですが、わたしゃパタリロもマカロニもダメでして、どおくまんの『嗚呼!!花の応援団』にはまってましたねぇ。私の記憶ではマカロニ派はパタリロに、ガキデカ派は花の応援団に集まっていたような…

って、私は『マカロニほうれん荘』は少年サンデーかとばっかり思っていたのですが、あらためて調べてみると少年チャンピオンですね。おそらくその後の「サンデーファンVSジャンプファン」の伏線があったと思う。


>少女マンガを研究すれば、モテるようになる? ってモトが問題ですか…(^^ゞ

そこでフェミ本ですよ(けっこー使えますよ)w

Re(1):少女革命ウテナと、なぜか競馬ネタ
 芥屋  - 06/10/23(月) 0:36 -

引用なし
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   メイショウサムソン三冠ならず…というか、来た来たドリームパスポート!皐月賞2着、ダービー3着、ここで遂に菊花賞を…父フジキセキが故障で出走すら出来ずに終わったクラシックレースの…と思ったら、さらに外からソングオブウィンド…一瞬、あれ?誰?と思ったけど、そっか、エルコンドルパサーの仔か…この仔も父が出走できなかったクラシックレースを…
オメデトー!ヨカッタネ。・゚・(ノ∀`)・゚・。グシグシ

>純子さん:

>TV版にはまった方なら、面白いと思いますよ。

劇場版ウテナ、ビデオ屋にありません…田舎だからかなぁ…でも純子さんの紹介で、ぜひとも見たくなった。あの世界がそうなるのか…。

TV版は、『ガロ』でやたら褒めてる人がいたので観てみたんですよ(面白かった)。「女の子でも誰かを守れる!」でしたっけ、キャッチフレーズは…でも私としては、レズモノとしてというより、オンナの勝負モノとして面白かった覚えがあります。当時、競馬で牝馬の熱い名勝負(エアグルーヴVSメジロドーベル)があったので、そういう重ね方をして観てました。

エアグルーヴとメジロドーベルは一歳違い。ともに「史上最強牝馬」と言われたのでしたが、その「強さ」が違ったんです。エアグルーヴはものすごく久しぶりに牝馬で天皇賞を勝ったのですが、洗練された今の競馬のGI(短距離線を除く)で牝馬が牡馬に勝つというのは、まず、今後も当分はないんじゃないかというくらいのことです。それくらい「強い」。一方、メジロドーベルはGI5勝という未曾有の記録を残しましたが、その全てが牝馬戦だった。

エアグルーヴはすごく「エレガント」という言葉が似合う馬だったんです。見た目もそうだけど、天皇賞を勝ったときも、ゆうゆうと…最後の直線でサッと抜け出すと、追いすがる対抗馬を、悠然と退けてゴール。「うぁ、つ、強い…」という勝ち方。強い強いと言われる一つ年下のメジロドーベルでも、有馬記念など雌雄混合のGIでは見せ場もなく終わっているのに…

メジロドーベルは、ものすごく気性の荒い、気の強いとこがあって、勝つときの姿があられもないというか、目を血走らせて口開けてものすごい形相で髪振り乱して爆走するんです。印象的だったのは、あるGIIで一流半クラスの牡馬を相手に出走したとき。いつもは後半から最後の直線で追い込む走法なのに、なんと、最初から最後まで先頭を走って逃げ切って勝ったのですが…まるで、「あんたたちの後ろを走るなんて、一瞬でもイヤっ!!」という感じの、鬼気迫る走り方でした。

某競馬雑誌で、ある女性記者さん(投稿者だったか?)が書いていたのが印象的なんですが、「エアグルーヴは自分が女であることを過剰に意識しない。どんな強い男に混じっても自分の力をサラッと出す女。メジロドーベルは過剰に自分が女であることにこだわる。同じ女や二流以下の男にはゼッタイに負けまいとする」ということを書いてたんです。まったく、その人の言うとおりで、「さすが、女はオンナのことがよくわかるものなのだな」と思い知らされたのが、二人の決戦だったのです。

二人が最初で最後の対決をしたのがエリザベス女王杯で、これに勝ったのがメジロドーベルなんですが、私は「ものすごいものを見た…」という思いでした。既に天皇賞を勝って、これが引退レースとなるエアグルーヴが、最後の直線で悠然と抜け出します。そこへ、後方からメジロドーベルが追いすがります。さぁ、二人の追いつ抜かれつの勝負!と思う間もなく、一瞬、でした。アッと言う間にメジロドーベルはエアグルーヴを置き去りにして傲然とゴールへ…

「お、おまえ、そこまで強かったのか…だったら何故…」

女どうしの戦いなら、ゼッタイに、誰にも負けないんだというメジロドーベル。GI5勝という未曾有の記録。しかしその全てが牝馬戦。超一流の牡馬も混じるGIだと、借りてきた猫みたいになる彼女は、まるで、そういう舞台では、

「えぇ〜っ、わたしオンナのコですからぁ(*^o^*)キャッ♪」

…なんですよ。あるいは、自分のモノスゴイところを見せたくなかったのか、とか。そうとしか思えない。先の女性記者さんは確か、こういうことを書いていた覚えがあります。「メジロドーベルは、ヤなオンナです。でも、気持ちはわかる。エアグルーヴには憧れるけど、ああはなれない」

Re(1):漫画バナシ
 gaji  - 06/10/23(月) 3:49 -

引用なし
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   >芥屋さん:

>タメなのでお聞きしますが、ガキデカ派とマカロニ派に分かれてませんでしたか?そんでパタリロもわけ入って来るんですが、わたしゃパタリロもマカロニもダメでして、どおくまんの『嗚呼!!花の応援団』にはまってましたねぇ。私の記憶ではマカロニ派はパタリロに、ガキデカ派は花の応援団に集まっていたような…

うーん、タメでわないかもでしが、横レスすいまそん。

わたしのバヤイ、
ガキデカも好き^^パタリロも好き^^花の応援団もおもぴろかった♪派
見境ナシ派でつ。

Re(2):漫画よもやまバナシ
 バジル二世@漫画喫茶  - 06/10/23(月) 10:26 -

引用なし
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   芥屋さん

>「花とゆめ」というと、『パタリロ』しか思ひ出せない…!

あ、実は「パタリロ」あまり読んでないんですね。ごめんなさい。

>タメなのでお聞きしますが、ガキデカ派とマカロニ派に分かれてませんでしたか?そんでパタリロもわけ入って来るんですが、わたしゃパタリロもマカロニもダメでして、どおくまんの『嗚呼!!花の応援団』にはまってましたねぇ。私の記憶ではマカロニ派はパタリロに、ガキデカ派は花の応援団に集まっていたような…

その2派に分かれていたかは、私は家が中学まで漫画禁止だったもので、分かりません。高校時代なんの因果かアニメサークルに入って、というか無理やり入れさせられて、結構むさぼるように読んだ覚えがあります。

そういう中高時代、鮮烈な印象があったのは下宿屋もやっていた祖母の家に1冊置き捨てられていた『嗚呼!!花の応援団』ですかね。大笑いしました。それでも、こんなの読んでいるのが親にばれたらまずいというような感じで、コソーリ読んでいたような(^^; 女性の裸もあるし…。

>って、私は『マカロニほうれん荘』は少年サンデーかとばっかり思っていたのですが、あらためて調べてみると少年チャンピオンですね。おそらくその後の「サンデーファンVSジャンプファン」の伏線があったと思う。

「少年チャンピオン」も置き去りになっていて、「百億の昼と千億の夜」(萩尾望都)が載っていたなあ。広がりを感じる絵で、少女マンガタッチなんだけれど、あとあとまで覚えていて、全巻買いましたね。高校に入って「漫画の中には勉強になるデザインのヒントがいっぱいある」なんて訳分からんこと言って、親に漫画解禁にしてもらってからですね。「花とゆめ」は妹から借りて読んでいたんですね。あのころお目当ての作家は三原順でした(知らない人多いかも)。

で、ギャグ漫画では本屋で「るんるんカンパニー」を立ち読みして全巻読んだっけなあ。本屋さんすいません。

>>少女マンガを研究すれば、モテるようになる? ってモトが問題ですか…(^^ゞ
>
>そこでフェミ本ですよ(けっこー使えますよ)w

たとえばどういう本がいいでしょうか(相談モードです)。妹が実は社会学系のジェンダー学専攻でして、とても複雑な気持ちがあるんですが。

gajiさん

>うーん、タメでわないかもでしが、横レスすいまそん。
>
>わたしのバヤイ、
>ガキデカも好き^^パタリロも好き^^花の応援団もおもぴろかった♪派
>見境ナシ派でつ。

実は八丈島のきょんというのはgajiさんの投稿で初めて知りました。

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首位決戦_まず先勝!!
 エビカニ  - 06/9/30(土) 9:59 -

引用なし
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   お久しぶりでございます。

だいぶん以前にしまへびさんが「いつかTとDで優勝争いを」と書いてくれてたなー、としばらくぶりに覗いてみるとえらいことになっちゃってました。
「絶対に勝て!!!」の強い気持ちで応援したいと思っています。

ところで、現在進行中の話題ですが、しっかりとは追いかけていないのですが、もしかしたら参考になるかも、、、と思いますので、私がアウロラ板に書き込んだものと、それに対するMacskaさんのレスを載せてみます。

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
ふむふむ・いろいろ
 投稿日 2004年1月31日(土)13時58分 投稿者 エビカニ     delete


いやー、やっぱしわからんことは素直に尋ねてみるもんです。
読後の第一感は、同じことの繰り返しだ(怒)だったんですが、だんだんと理解できたというか、見えてきた感じです。
まずはMacskaさんに確認です。

>どこに持ち込むのだと言われても、「社会に持ち込む」に決まっているじゃないですか。
>社会に持ち込むというのは、コミュニケーションに異質なものを割り込ませて、軋轢を起こすことです。

Macskaさんの理想とする社会は、選択肢の多い社会ですよね。
その社会の実現のために積極的・能動的にMacskaさんが行動するのは、引用にある軋轢を起こす段階まで、という理解でよろしいでしょうか?
今まで「男らしさ・女らしさ」について考えてもみなかった人々が、「えーと、男らしさ・女らしさっていうのは、・・・う〜ん」と考え始めればそれは必然的に十人十色の「男らしさ・女らしさ」となります。
最初は似たり寄ったりの「男らしさ・女らしさ」でしょうが、いずれ様々なバリエーションが生まれてくることが予想されます。そんな状態をMacskaさんは、しめしめとほくそ笑みながら眺めている、という理解でよろしいでしょうか?
さらに手を緩めずに軋轢を起こし、考え続けてもらっているとバリエーションを増やした「男らしさ・女らしさ」に対応して社会の制度も変化し、多様な選択肢を持つ社会になっていくことでしょう。Macskaさんは、そんな社会が実現したことを見届けて「ヨッシャー」と小さくガッツポーズすることを夢見ている、という理解でよろしいでしょうか?

私は以前、とある板に「フェミニズムは、エッセイとしてなら高く評価できる」と書いたことがあります。それは、新しい視点を提供してくれたフェミニズムに対して、敬意を表したものです。
上記の解釈が正しいならば、私は軋轢を起こすことに協力する気はありませんが、「男らしさ・女らしさ」に関しては、Macskaさんに頑張って下さいという気分です。


ところで、上記の解釈とは異なる(Macskaさんから見れば誤解でしょうが)誤解とはいえない別の解釈も成立すると思います。

理想とする多くの選択肢を持つ社会の成立そのものを、積極的・能動的に社会に対して働きかけようとしている、という解釈です。その社会が仮に実現されたとすると、人々の需要に関係なく多くの選択肢がつり下がっている社会というイメージになります。
※ここで「理想論・効率を無視」という批判が出ます。
そして、そのための手段が様々な価値観を社会へ持ち込むことだという。
「社会のありようを問題にしているのであって、個人の生き方など問題にしていない」と言われても、価値観を持つのは社会ではなく、その社会に住む一人一人の人間だろ、と思います。
(言ってもいないことを勝手に…がこの辺りですね)
つまり、様々な価値観を社会に持ち込むということは、「あなたにはあれ、そなたにはそれ、こなたにはこれ」と一人一人に異なる価値観を配って廻るイメージになります。これは、価値観の押し付けに他なりません。
※ここで「価値観の押し付けを拒否している人が、他者へは価値観を押し付けている、
バカフェミと同じではないか」という批判が出ます。

アンチ板の議論が、前へ動き出すことをお祈りいたします。
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
軋轢
 投稿日 2004年2月1日(日)01時53分 投稿者 Macska    delete


エビカニさん:
> Macskaさんの理想とする社会は、選択肢の多い社会ですよね。
> その社会の実現のために積極的・能動的にMacskaさんが行動するのは、
> 引用にある軋轢を起こす段階まで、という理解でよろしいでしょうか?

えっと、軋轢を起こしたら、その後始末というかフォローアップも必要じゃないですか。
放っておいたら、わたしの方が「変人」として排除もしくは例外規定されるだけですから。

例外規定って分かりますか?
例えば、わたしはむかし「トランスジェンダー」という言葉が、
男から女になったり、女から男になるというだけじゃなくて、
既存の性役割にとらわれずに自分の生きたいように生きるという意味でも使える事を知って、
それは素晴らしいと思ってトランスジェンダーを自称したことがあります。

90年代の中盤までは、アメリカでもトランスジェンダーという概念自体が珍しかったので、
それを自称するだけで軋轢が起きました。 でも、次第に世間が慣れてくると、
「なるほど、あなたはわれわれ一般人とは違ったトランスジェンダーという存在なのですね」
みたいになってしまって、それなりに居場所が出来る代わりに、軋轢は起きなくなる。
居場所を求める運動だって確かに必要だし、
おかげでトランスジェンダーの地位が向上したのは事実なんですが、
わたしが求めているものとは何か違うわけです。

このように、「お約束ごと」に従わない現象があると、
世間は「犯罪者」「精神病者」「変人」「トランスジェンダー」のように例外規定をもうけることによって、
「それらはわたしたち一般人とは無関係のこと」と決めつけます。
そうすることで、「お約束は悪くない」と安心できるわけですね。
ですから、「お約束ごと」を変えるには、そしてそれを前提とした社会制度を変えるには、
「わたしたち一般人」という思い込みを打破しなくちゃいけませんね。
そのために、いらぬ軋轢を日々起こそうというのがわたしの考えです。

当然、「わたしたち女性」なんて言っている旧フェミニズムも打破します。
上のトランスジェンダーの例と同じで、フェミニズム内部で軋轢を起こすために
「第三波フェミニズム」を自称した時期があったのですが、今では「第三波フェミニズム」という言葉が
「若い女の子が母親世代に反抗している」的に陳腐化してしまったので、
あえてポストフェミニズムという、大半のフェミニストが嫌う言葉を使ったりしてます。

> Macskaさんは、そんな社会が実現したことを見届けて
> 「ヨッシャー」と小さくガッツポーズすることを夢見ている、
> という理解でよろしいでしょうか?

あー、というか、もしそういう社会が実現したら望ましいとだと思いますが、
何か理想の社会を夢見るというよりは、今の社会の居心地が悪いし、
納得いかないことが多いから、もっと居心地がいい社会にしたいという意識の方が強いです。

> 理想とする多くの選択肢を持つ社会の成立そのものを、積極的・能動的に社会に対して
> 働きかけようとしている、という解釈です。
> その社会が仮に実現されたとすると、人々の需要に関係なく
> 多くの選択肢がつり下がっている社会というイメージになります。

ええとですね、現実問題として、そういう順序だと失敗するのが目に見えているわけですが、
政治的要求としてあえて「効率を無視」してそういう主張をすることは有り得ると思いますよ。
というのも、そういう主張が、リベラリズムの考え方と互換性が高いからです。

リベラルな社会というのは、無駄だらけです。
百姓の子どもは百姓、商人の子どもは商人、というような社会であれば、
全員に同じ学校教育を与えるなんて無駄なことはせずに、
それぞれの職業や共同体参加に必要な知識や技術を取得させればそれで良いという事になります。

自由社会というのは、そうした効率の良さを否定してでも、共通のスタートラインを提供する社会です。
もちろん、技術や社会構造の変化があるので昔の通りにやろうとしても通用しないわけですが、それは別の話。
ある子どもが特定の方向に伸びるかどうかは、取りあえずある程度の教育を全員に与えなければ選別できない。
それは、機会平等のために効率を犠牲にするということであり、それが許容されるのであれば、
ジェンダー間における機会平等のために同様の措置を取ってもいいという主張は成り立ちます。

一方、「制度としての『お約束ごと』を相対化するために世間と軋轢を起こし続ける」ということは、
あんまり表立って言いやすい主張ではありません。 言いにくい事だからこそ軋轢になるわけで、それは当たり前。
じっくり聞いてくれない相手だと、いろいろ誤解を受けることもあるでしょう。
そもそも、大半の活動家は「自分の行動が他人に迷惑である」ということをあんまり考えないモノで、
「迷惑である」ことを認識した上で、わざともっと「迷惑」なことをやって
軋轢を起こそうだなんて考える不届きな活動家は、あんまりいないわけです(笑)

そうすると、とにかく需要がなくても選択肢を平等にせよ、
選択肢が先に提供されないと、需要があるかどうかすら分からないではないか、
という主張の方が、ずっと言いやすいのね。

(以下、別の人宛のレスのため略します)
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑

Re(1):首位決戦_まず先勝!!
 芥屋  - 06/10/1(日) 11:46 -

引用なし
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   >エビカニさん:

ヲヲ、お久しぶりです!タイガース、昨夜は残念だったようで・・・。しかしアレですね、もしタイガースvsファイターズのシリーズになったら、新庄効果で凄い盛り上がるかもしれません。

ところで、macskaさんが「自由意志」のことで、私と衝突してた短いやりとりんとこはログありますか?

Re(2):首位決戦_まず先勝!!
 エビカニ  - 06/10/18(水) 13:44 -

引用なし
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   >芥屋さん:
>ところで、macskaさんが「自由意志」のことで、私と衝突してた短いやりとりんとこはログありますか?

銭金さんと「学問の自由」についてやり取りされてる部分は残ってましたが、macskaさんとの「自由意志」の部分はありませんでした。
そのやり取りのぼんやりとした記憶があるので(わりと最近に読んだのかもしれない)、どこかに残っているような気もするのですが、見つかりませんでした。ひょっこり出てきたら、また連絡します。

無題
 芥屋  - 06/10/19(木) 0:31 -

引用なし
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   >エビカニさん:
>銭金さんと「学問の自由」についてやり取りされてる部分は残ってましたが、macskaさんとの「自由意志」の部分はありませんでした。

そうですか。エビカニさんが食って掛かったところから始まるんでしたが(笑)、そりゃ残念。ところで銭山さんて、いい感じのシトでしたね。

>そのやり取りのぼんやりとした記憶があるので(わりと最近に読んだのかもしれない)、どこかに残っているような気もするのですが、見つかりませんでした。ひょっこり出てきたら、また連絡します。

よろしくお願いいたします。

*ファイターズとドラゴンズの日本シリーズはもうすぐですが、マターリ楽しめそうです。

Re(1):首位決戦_まず先勝!!
 バジル二世  - 06/10/1(日) 23:17 -

引用なし
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   >エビカニさん:
>お久しぶりでございます。

どうもお久しぶりです。

>「絶対に勝て!!!」の強い気持ちで応援したいと思っています。

一昨日2ゲーム差になっていたのには驚きました。以前とても世話になった先輩が阪神ファンなので、野球を見ない私も選手の名前をしらぬうちに覚えてたり、好感を持ってたりしております。

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ジェンダーとジェンダーの「再生産」
 純子  - 06/10/1(日) 16:17 -

引用なし
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   一連の議論を眺めて思ったのですが
これは、ジェンダーに対する見解の相違があるんですね。
要は、ジェンダーというものを、

1.女性や性的少数派を差別して、社会の下位に位置づけるために作られた抑圧のシステムであると考えるのか?(ジェンダーは基本的に悪)

2.それとも、自然な男女の性差(セックス)による互いの違いが、なるべく抑圧的にならないように、おたがいの利益を調整するために必要なシステムと考えるのか?(ジェンダーは基本的に善)

それから
1.の立場には過激派と穏健派があって

i.(過激派)ジェンダーというのは、抑圧のシステムだから全廃すべし。
ii.(穏健派)全廃が理想だが、自発的に抑圧者の立場に身を置く、マゾな人間は許されるべき。

という考え方になる。

2.の立場にも過激派と穏健派があって

iii.(穏健派)システムには制度疲労があったり、システムの策定者のものの見方が偏っている場合もあるから、システムの中でワリを食う女性や性的少数者からの意義申し立ては許されるべき。
iv.(過激派)ジェンダーというシステムは自然な性差(セックス)を基礎にして成立している完全なもので、意義申し立てをする人間は頭がおかしい。

つまり、macskaさんはii,芥屋さんや私はiii.なのだが、根本的なところでジェンダー観がズレているから、互いに深いところで議論を始めるとおたがいにi.iv.に見えてしまうわけですね。ここまで譲歩してやっているのにわからずやめという話になる。

特に、「再生産」に関しては意見が割れる。
ii.の立場に立てば、個人的なマゾヒストが勝手にジェンダーという抑圧を引き受けるのはいいが、その抑圧を次の世代に「再生産」することは「差別」だから許されない。特に教育などは抑圧の「再生産」だから、ジェンダーを教える教育はすべて「差別教育」ということになる。

iii.の立場に立てば、システムの維持のためには「再生産」は必要で、「再生産」過程で差別につながる不都合を改訂すればいいだけという話になる。逆に「再生産」そのものを否定する意見は、システムの崩壊を招く恐れがあるため、それは「文化大革命」だという話になる。

Re(1):ジェンダーとジェンダーの「再生産」
 macska E-MAILWEB  - 06/10/1(日) 18:42 -

引用なし
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   純子さん:
> つまり、macskaさんはii,芥屋さんや私はiii.なのだが、根本的なところで
> ジェンダー観がズレているから、互いに深いところで議論を始めるとおた
> がいにi.iv.に見えてしまうわけですね。ここまで譲歩してやっているのに
> わからずやめという話になる。

わたしの立場が ii だとするなら、そもそもわたしは 1 に同意しているという前提が必要だと思いますが、わたしは 1 には同意しません。なぜならわたしはジェンダーというのを善か悪かと考えたりはしませんし、何かの目的があって作られたものだとも思いません。ジェンダーを全廃するかどうかなんて、そんな現実離れした話をして何になるのか分からないし、そんな疑問を抱いたことすらありません。

なんでこれほどにもわたしの考えとかけ離れたものが、わたしの考えであると提示されてしまうのか。純子さんは何か偏見をもって相手の意見を決めつけてはいないでしょうか。わたしの考えが分かりにくい部分があれば、勝手な想像で補わずに質問してくださいね。

「再生産」について(社会学習説と社会構築説)
 芥屋  - 06/10/1(日) 19:42 -

引用なし
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   >純子さん:
>特に、「再生産」に関しては意見が割れる。

たぶん、この点ではmacskaさんの下記の意見が参考になると思います。社会学習説と社会構築説の区別がついていないということです。

【山口】
macskaさんも事前に同じテーマを出していたけれど、「性自認をめぐる議論の混乱」で、どういう点が問題だと思ってます?
【macska】
ええとですね、社会構築主義と社会学習論の区別がついていないこと。
【みあ】
うまい!
【macska】
「生まれか育ちか」というのは社会学習論の議論であって、社会構築主義の是非とは別のレイヤーにある議論ですよ。生物学的に何らかの傾向の違いがあるというのはほとんど否定できませんが、生まれ持った生物学的な傾向が現実の社会でどのように表現されるかというのは、その社会の状況によるでしょ。
単純な例として、かつてならブッチダイクとして一生を終えていたはずの人が、いま大挙して FTM の「男性」として生きています。突如レズビアン遺伝子の頻度が減ってトランスセクシュアル遺伝子の頻度が上昇したとは全く考えられない(笑) また、かれらが「ダイクであるように」「トランスであるように」と育てられたわけでないことも明らかです。社会状況が変化したために「ダイクであること」「男性であること」というカテゴリ自体の範囲が変わったからだとしか解釈のしようがないわけですよ。
http://d.hatena.ne.jp/Backlash/20060729/p2

ですので、仮に「男女の違い」をネガティヴに捉えて、その再生産をやめさせようとする立場であっても、下記の二つの立場の違いは大きな見解の相違を生むはず。

1.社会学習説に基づく立場。
ほとんどの「男女の違い」は生後に学習したものであって刷り込み効果でしかないので、「男女の違い」については(体の違いのほかは)家庭や学校で教えないようにしよう。また、そういうものが刷り込みでしかないんだということを学ばせよう。
2.社会構築説に基づく立場。
男女の違いについて生理的なものを数え上げればキリがないかもしれないが、しかしその「違い」がどのように認識され意味づけされるかは社会的に構築されるものなので、どのようなものが構築されていくかに敏感であるべきだ。

差別に結びつくような認識や意味づけで構築された男女観があって、そういう認識や意味づけが家庭や学校で行われているとすると、そのように構築された男女観を子供は学習することになる…という考え方はできると思う(そういう考え方が有意ではないとは思いませんので、後は個々の見解への賛否だと思います)。

でもまぁ、ハッキリ言って、社会学習説と社会構築説とを混同したジェンフリ教育論ばっかりじゃないのかな、日本の現状は。ひとつには、日本の大学での教育学は、社会学習説に基本を置いていることが大きな理由だと思うんです。私が大学で習ったときも、それは定説のように教えられました。だから学校の先生は、社会構築説を知らずに社会学習説によって「ジェンダーに敏感であろう」と解釈してしまうのではないか。

http://nosumi.exblog.jp/d2006-08-07
*↑このコメント欄の「どことなく」さんの意見が典型的。

すると、「区別するから差別になるのよ!」式の旧来の反差別論にとどまっている先生(田嶋センセみたいな人)だと、上記1の立場でのジェンフリ教育になりやすいんじゃないか、と。「基本のき」に代表されるような、そういう不勉強なサヨク先生の教育論は文革じみてくることになる。でもこれは本来、2の立場から出てくるようなシロモノではないんですね。だからmacskaさんが「このパンフの著者はこう考えてるんだけど、私はこんな風には考えない」と言いたいのは理解できます。でも、それなら2の立場から1の人々に指摘してあげたり批判してやったりしつつ、1と2を混同したまま批判する人々には、これまた違いを説明したり批判したりすればいいのに…って思うんですが、これを言い出したら政治信条とか性格とかいろいろあるんでしょうね。

まぁmacskaさんにも良いとこ悪いとこありますんで、取るべきは取り、捨てるべきは捨てればいいかな、と思っとります(笑)

Re(1):「再生産」について(社会学習説と社会構築...
 macska E-MAILWEB  - 06/10/2(月) 2:37 -

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   芥屋さん:
> でもまぁ、ハッキリ言って、社会学習説と社会構築説とを混同した
> ジェンフリ教育論ばっかりじゃないのかな、日本の現状は。

いや日本に限らず、米国でも混同されていますね。最近、ある著名な学者さんがインターセックスについて書いた論文の下書きを査読してくれとお願いしてきたので読んだのですが、ジョン・マネーの理論が社会構築主義だと書かれていた。マネー理論は社会学習論を中心とした学習理論であって、一般的な意味での構築主義ではありませんよ。まぁあれも広義の構築主義の一種だと言われれば絶対違うとも言い切れないのですが、マネーの失敗により構築主義が否定されたと思われてはたまらないわけで(笑) その学者はさすがに頭がいい人なので指摘をきちんと理解してくれましたが、理解できない人も多いんですよね…

さらにフェミニズム教育論となると、フェミニズム理論の中心からかなり外れたところに位置していて、ほとんど相互交流はありません。日本では女性学をやっている人がジェンフリ教育を推進していたりして、ジェンフリの説明にバトラーやらスコットを持ち出して無駄に混乱を巻き起こしているわけですが、米国のフェミニズム教育論にはバトラーなんてほとんど登場しません。逆に、教育学者であるバーバラ・ヒューストンなんて女性学の中ではほとんど知られていません。

> だから学校の先生は、社会構築説を知らずに社会学習説によって
> 「ジェンダーに敏感であろう」と解釈してしまうのではないか。

それは、ありそうな話です。

> でも、それなら2の立場から1の人々に指摘してあげたり批判し
> てやったりしつつ、1と2を混同したまま批判する人々には、
> これまた違いを説明したり批判したりすればいいのに…って思う
> んですが、

それをやっていると思いますが。引用してくださった部分はまさにそれですし。

Re(2):「再生産」について(社会学習説と社会構築...
 芥屋  - 06/10/3(火) 5:17 -

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   >macskaさん:
>> でもまぁ、ハッキリ言って、社会学習説と社会構築説とを混同したジェンフリ教育論ばっかりじゃないのかな、日本の現状は。

>いや日本に限らず、米国でも混同されていますね。

本来レイヤーが違うんだということとは別に、現実には見分けがつかないものが多かったということは理由に考えられませんかね。社会学習説に対する距離の取り方とも関係してくるとは思うんですが、仮に両極端な二つの見解で言うと、

1.タブラ・ラサ説を信じている。
2.脳の性差は決定的だと思う。

社会構築説そのものは、どちらが正しいかというレイヤーではない。というか、どちらの見解が真であるにせよ、そのことをもとにどのような男女観が社会的に構築されていくかを見ている立場ですね。

本来的にはそうなんだけど、1の論者が社会構築説を併用することが多かったのでは。これも極端に書くと、

『人の脳は生まれながらに何も書いていない石版である。男女の違いというものも、性器・生殖器の違いしかなく、ものの見方や考え方や感じ方に生まれながらの違いはない。すべて生後の学習なんだ。その学習することは、社会的に作り上げられたものを刷り込まれ、覚えていくに過ぎないんだ。』

これだと、頭の良し悪しというより、素人にも玄人にも、社会学習説と社会構築説の見分けがつかない。マネーの説も、これに近いのでは? 2の論者でも社会構築説でこう言えますよ、というものを見せられて、「あ、この二つは違う次元の説なのか」と理解できる。

で、現状では『』内で書いたことをめぐって

A:そのとおりである。その社会的に作り上げられたものはほとんど女性差別につながる偏見なのである。だからして男女の違いについて、従来の男女観を教えてはいけない。
B:いや、そうではない。学び教わるものであるからこそ、偏見であれば正すのは当然だが、多くは人として大事なことなので、覚えて身に着けさせるべきものなのだ。
C:というか、先天的に違うんだってば。学ばせなくても違うんだけど、学ばせないと先天的なものと食い違ってきたりして、やばいってば。

という論争ですかね。アメリカの教育学でも、タブラ・ラサ説の信奉者が多かったのでは…?(それがかえって、子育てにおいて何を学ばせるかでその子の人格が決定的に異なってくるという強迫観念を親に与えてしまったという側面がある、という話を聞きましたが。)

思うに社会構築説は、まず史学の素養があって、そこに社会学的なアプローチを併用しながら見るものであることの意味がわかってないと、いきなりは使えないんじゃないかな…。

>> だから学校の先生は、社会構築説を知らずに社会学習説によって「ジェンダーに敏感であろう」と解釈してしまうのではないか。

>それは、ありそうな話です。

今の教育論争は、これが大きな問題かな。

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閑話休題 奴隷制度の歴史
 純子  - 06/10/11(水) 20:36 -

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   macskaさんのこの発言が妙に気にかかってしまった。

>>定義に合致しているのに「職場の常識」を振りかざして強引に「差別ではない」と決めつけてしまうという非論理的なふるまいを認めてしまうと、例えば奴隷制があったころの米国南部では黒人は個人として生きることができないから奴隷でいるのがかれら自身にとってもちょうどいいという「常識」によって「奴隷制は差別ではない」ということになってしまいます。

そこで、奴隷制度の歴史について調べてみた。

奴隷貿易
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B4%E9%9A%B7%E8%B2%BF%E6%98%93

>開始と同時に人道的立場からの批判が起こっていたが、

ほら、最初から、「やっぱり、これは良くないんじゃないの……」と思っていた人はいたわけだよね。アメリカ南部の「常識」は、世界の「非常識」(^^)


>大航海時代のアフリカの黒人諸王国は相互に部族闘争を繰り返しており、奴隷狩りで得た他部族の黒人を売却する形でポルトガルとの通商に対応した。ポルトガル人はこの購入奴隷を西インド諸島に運び、カリブ海全域で展開しつつあった砂糖生産のためのプランテーションに必要な労働力として売却した。

アフリカの奴隷海岸にあったダホメ王国などが有名。ポルトガルから鉄砲を買い。それで周辺の部族に戦争を仕掛け、その戦争捕虜を奴隷として売り飛ばし、また銃器を買う……(--)。


>アフリカが植民地化され世界経済に包摂されていくにつれ、供給元となる地域の人的資源を急激に枯渇させる奴隷貿易は次第に有益とは見なされなくなり縮小に向かった

黒人緒王国が、イギリスやフランスによって侵略され植民地化されると、部族同士の戦争はなくなるので、奴隷の価格が上昇。むしろ、奴隷制度を維持するより、現地に製糖工場を建てて、黒人には労働者として働いてもらって、砂糖を輸出したほうが儲かる(^^)。

>特に18世紀後半以降、宗教的・人道的立場と、奴隷価格の高騰という植民地側の事情がうまくかみ合ったので、19世紀初頭には、まず奴隷貿易(奴隷制度では無く)禁止の機運が高まり、

やっぱり、人道だけじゃなく、経済的にもメリットがないということにならないと改善されないのか。

>イギリスは1808年、世界に先駆けて奴隷禁止を打ち出し、ナポレオン戦争中で海軍力が慢性的に不足しているにもかかわらず、アフリカ沿岸に多数の艦艇を配置して奴隷貿易を取り締まり、ラゴスなどポルトガル人の奴隷貿易港湾を制圧した。

で……最後はやっぱり武力制圧か……。人類って悲しいのう(--)


>こうした動きの中、アメリカ合衆国では南北戦争での連邦軍の勝利によって奴隷制は全廃された

止めの一撃。世界の中で奴隷制度が最後まで残っていたのはアメリカだけ……(^^)。さすが「自由」の国、奴隷制度を維持する「自由」を侵害するなと最後まで抵抗してくれました。(^^)


ちなみに、日本はどうだったかというと……

http://www.daishodai.ac.jp/~shimosan/slavery/japan.html

>日本人を奴隷として輸出する動きは、ポルトガル人がはじめて種子島に漂着した1540年代の終わり頃から早くもはじまったと考えられている。

>「我が旅行の先々で、売られて奴隷の境涯に落ちた日本人を親しく見たときには、 こんな安い値で小家畜か駄獣かの様に(同胞の日本人を)手放す我が民族への激しい念に燃え立たざるを得なかった。」「全くだ。実際、我が民族中のあれほど多数の男女やら童男・童女が、世界中のあれほど様々な地域へあんなに安い値でさらっていって売りさばかれ、みじめな賤業に就くのを見て、憐憫の情を催さない者があろうか。」

天正少年使節団一行がすでに16世紀に激怒しております(1582年)

>「バテレンどもは、諸宗を我邪宗に引き入れ、それのみならず日本人を数百男女によらず黒舟へ買い取り、手足に鉄の鎖を付けて舟底へ追い入れ、地獄の呵責にもすくれ(地獄の苦しみ以上に)、生きながらに皮をはぎ、只今世より畜生道有様」

太閤殿下も激怒しております。この一件でスペインと戦争になりかっかたようでございます。

>「大唐、南蛮、高麗え日本仁(日本人)を売遣候事曲事(くせごと = 犯罪)。付(つけたり)、日本におゐて人之売買停止之事。 右之条々、堅く停止せられおはんぬ、若違犯之族之あらば、忽厳科に処せらるべき者也。」

ということで、天正15年(1587年)6月18日、太閤秀吉によって、218年ほどイギリスに先駆け、奴隷貿易と人身売買は禁止されておりますな。

奴隷制度
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B4%E9%9A%B7

>日本の律令制度では、五色の賤のうち、公奴婢と私奴婢が奴隷にあたる。この奴婢は、律令制度の弛緩にともない消滅した。

900年代には既に奴婢制度の廃止令が朝廷から出ているらしい。しかし……

>平安時代以降には、様々な事情で自由を失った人が下人となり、主人に所有され、売買の対象になった。これは江戸時代に消滅した。江戸時代に人身売買は禁止された。

なかなか思いどおりにはいかず、江戸時代になってようやく奴隷制度は廃止された。

>第二次世界大戦後に、連合国軍総司令部は、日本における奴隷階級の解放を宣言していたが、日本政府が日本には奴隷階級はないと反論した。

南北戦争(明治維新の少し前)のころまで、奴隷制度を引きずっていた国が何を言ってるか、偉そうに……って、ことかも(^^)

アメリカの「常識」は世界の「非常識」(^^)

Re(1):閑話休題 奴隷制度の歴史
 Josef  - 06/10/12(木) 20:48 -

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   >閑話休題 奴隷制の歴史

↑これは「閑話休題」の誤用では?「奴隷制の歴史」の方が本題だったかに見えちゃいますよ。

それはさておき(=閑話休題)、

>macskaさんのこの発言が妙に気にかかってしまった。
>
>>定義に合致しているのに「職場の常識」を振りかざして強引に「差別ではない」と決めつけてしまうという非論理的なふるまいを認めてしまうと、例えば奴隷制があったころの米国南部では黒人は個人として生きることができないから奴隷でいるのがかれら自身にとってもちょうどいいという「常識」によって「奴隷制は差別ではない」ということになってしまいます。

奴隷制が差別ではない時代もあった、というより他はないでしょう。「現代から見てどう評価するか」と「当時はどう評価されたか」とは二者択一ではなく、両立する別の視点です。上のmacskaさんの文は両者がごっちゃになってますね。

ある行為・事態を「職場の常識」によって「差別ではない」と判断するからといって、奴隷制を認めていた過去の「常識」をも肯定することになってしまうというのは謬論です。ある行為・事態を「差別ではない」とする現代の「常識」は、その同じ「常識」によって、過去の奴隷制を「差別だった」と判断するでしょう。

Re(2):閑話休題 奴隷制度の歴史
 芥屋  - 06/10/12(木) 22:45 -

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   >Josefさん:
>>定義に合致しているのに「職場の常識」を振りかざして強引に「差別ではない」と決めつけてしまうという非論理的なふるまいを認めてしまうと、例えば奴隷制があったころの米国南部では黒人は個人として生きることができないから奴隷でいるのがかれら自身にとってもちょうどいいという「常識」によって「奴隷制は差別ではない」ということになってしまいます。

>奴隷制が差別ではない時代もあった、というより他はないでしょう。

ぶっちゃけ、そういうことだと思います。現代人が思うところの「差別」という概念で考えてたわけじゃないから。

>ある行為・事態を「職場の常識」によって「差別ではない」と判断するからといって、奴隷制を認めていた過去の「常識」をも肯定することになってしまうというのは謬論です。ある行為・事態を「差別ではない」とする現代の「常識」は、その同じ「常識」によって、過去の奴隷制を「差別だった」と判断するでしょう。

そうですね。ただし純子さんの挙げたように、では同時代の人たちはみな、それが当たり前だと思っていたかと言うと、「ひどすぎる」「許しがたい」「やめさせるべき」と思う人たちも多くいたということだと思います。スペイン・ポルトガル人の奴隷貿易は、同時代の世界常識からしても「非常識極まりない」ものだったように思いますよ。ましていわんやアメリカ南部の奴隷制度をや。

奴隷身分あれこれ
 芥屋  - 06/10/12(木) 23:14 -

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   >純子さん:

黒人奴隷の発生には、現地の黒人国家の抗争による捕虜を売りさばくことが大きかったこと、これは日本の戦国時代にも同じ構図があったこと、イエズス会の布教と結びついた信者による寺社への焼き討ちや領土献上や人身売買の横行が切支丹禁圧につながっていったことなど、意外に盲点にされていますね。スペイン・ポルトガル両国の征服活動の常道が行われていたというのに…

何故か切支丹の悲史としてしか教えられていない。そりゃぁ、島原の乱とか悲惨極まりない話ですし、貧しくとも敬虔で慎ましやかな切支丹の人たちまで煽りを食って弾圧の憂き目にあったことを軽んじる気はないのですが、当初はキリスト教に好意的だった為政者サイドをして禁圧を決断させた背景がズッポリ落とされて語られるのはいかがなものか?と思うんですよ。

ところで「奴隷」というと、あまりにも悪名名高い黒人奴隷のイメージなのですが、世界史ではもう少し広い概念ですね。もう一つ有名な奴隷階級がイスラム社会の「マムルーク」です。トルコ系の男子が奴隷として売買されるんですが、このマムルークとは「武将の家財としての戦士」であるから奴隷身分なのです。ところが、戦功を立てれば出世できるし、軍閥の中で重きをなすこともできる。だから貧しいトルコ系の家庭では息子をマムルークとして売ったり。そして遂には、奴隷身分である彼らが、衰弱して混乱した王家を倒して自分たちの国家を建設したエジプトのような例もあります。いわゆるマムルーク朝。

マムルーク朝、とは言うものの、王朝国家ではないんですね。マムルーク軍団から代々スルタンが推挙される。ちなみに、初代のスルタンはマムルークから一人、宮廷の女奴隷から一人、二人で君臨したようでして。このマムルーク軍閥のエジプトは、何と、あの、モンゴル軍をシリアで撃破してイスラム世界を守ったことが特筆されます。バクダッドが陥落して、怒涛の勢いでカイロを目指していたモンゴルの騎馬戦隊がそのままエジプトまでも占領したら、イスラムはどうなっていたかわかりません…。なお、海戦では弱かったモンゴル軍ですが、陸戦で撃破されたのは、このエジプトだけなのでした。

ところで、古代日本の「奴婢」って、どういう感じの身分だったんでしょうねぇ。もちろん、使用人の家財として売買される身分の人たちだったと思うんですが。古代ギリシャのイソップみたいな人も身分は奴隷だったわけで、ひとくちに奴隷身分と言っても実際にはいろんな暮らし方・扱われ方があったと思うし。

Re(1):奴隷身分あれこれ
 純子  - 06/10/13(金) 21:01 -

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   >芥屋さん:

>ところで、古代日本の「奴婢」って、どういう感じの身分だったんでしょうねぇ。もちろん、使用人の家財として売買される身分の人たちだったと思うんですが。古代ギリシャのイソップみたいな人も身分は奴隷だったわけで、ひとくちに奴隷身分と言っても実際にはいろんな暮らし方・扱われ方があったと思うし。

貨幣経済が、まだ未発達だったから、古事記や日本書紀を読むかぎりでは、売り買いというよりも、プレゼントって感じですね。「帝が即位なされる。おおそれはめでたい。では蘇我氏より、奴碑を100人ばかり……」みたいな(^^)

確かに奴隷と言えば、主人の所有物とされ、売り買いの対象となる人間ということなのですが、制度としてとらえると、様々なバリエーションがありますね。

近代奴隷制は、開始された当初から、非人道的だとされましたけど
古代のギリシャやローマで、奴隷制に疑問を持つ人はほとんどいなかったでしょう。というより、奴隷がいないと経済がなりたたなかった……(^^)。

産業革命以前だと、生産は、すべて人力によらなくてはならなかったので、奴隷といっても大事にされていたのかもしれないし……。

それでも、ギリシャとローマでは、奴隷のあつかいがぜんせん違っていて、ギリシャはスパルタが典型例なのですが、征服民族が、被征服民族を奴隷化して、身分階層として固定化させる。そのため、たびたび奴隷の反乱が起こって、それを制圧するために支配階層は「スパルタ教育」で超軍事国家を作らなくてはならなくなった。

ちなみにプラトンが「国家」で称えている、理想のジェンダーフリー教育とは、この「スパルタ教育」のことで、なんのことはない。男女のジェンダー差よりも、自由民と奴隷の文化の差のほうが大きかったんですね。奴隷に舐められないように、女の子にも厳しい軍事訓練、軍事訓練、軍事訓練……。

これがローマになると、解放奴隷という人たちが出てくるんです。要は真面目に働いたら自由民にしてあげるよ。実力次第では、子孫は元老員議員になれるかも……という制度を作る。このほうが、軍事制圧などしなくても、奴隷が真面目に働くんですね(^^)。

一方で、ローマ皇帝から生活保護を受けている「プロレターリア」と呼ばれる自由民もいたりして……。プロレターリアの意味は「子供以外に財産を持たない人」。子供も財産だったんだな。だからといって子供が酷い扱いを受けていたかというとそんなわけがない。原子力も石油もない時代においては、貴重な資源だったんだから……。

で、そのローマが地中海世界を制圧して、かつてプラトンが理想のジェンダーフリー教育と称えた「スパルタ教育」は衰退していき、「ローマ時代には、最後は見せ物と堕した」と平凡社の国民大百科事典に書いてあった……。

「見せ物」って、いったいなんだ……(^^)?

あ、これかあ。
スパルタ教育
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%91%E3%83%AB%E3%82%BF%E6%95%99%E8%82%B2

>また、祭りではみな裸で踊らされ、嫌がれば当然体罰があるので、スパルタでは男も女も平然とした様子で踊っていたらしい。

スケベの考えることは、古代ローマも現代もいっしょだ(^^)

案外、産業革命以前の奴隷制を考える上での、鍵は、奴隷→解放奴隷→自由民→出世というインセンティヴがあるかどうかかも……。

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【VIP】macska様の「文革なんて言わないで」II【貴...
 芥屋  - 06/10/12(木) 22:33 -

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   http://principle.jp/bbs5/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=693;no=710;id=keya1984
↑前々スレで終わってる話を執拗に続けるmacskaさんのためのスレ。

http://principle.jp/bbs5/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=790;no=1006;id=keya1984
↑前スレの、この部分の続きです。

【tp】
>>それに、私たちの意見の一部と「問答無用でジェンダーフリーを叩きたい人」の意見の一部が一致したところで、それはmacskaさんの立場からすれば「加担」でしょうけども、私たちの立場からすれば「加担」でもなんでもありません。
【ma】
>例えば、「ひな祭り否定」とか「全体主義」とか「文化大革命」とか、表現がおおざっぱ過ぎるんですよ。「ひな祭り否定」の「全体主義」で「文化大革命」だ、と読めば、普通なら「ひな祭りを禁止すべきだ」とか「ひな祭りを祝うべきではない」くらいのものすごく強烈な主張があると思うわけですが、現実にはそこまでハードなことは一切ないわけです。だったら、そんな極端な誤解を与えるような表現は避けて欲しいとわたしは思っているのです。
【芥】
>>お断りします。というか、だからそれはあなたの立場からの個人的な希望であって、tpknさんの反論に答えていませんよ。
【ma】
>なるほど、他にいくらでも誤解を呼ばない表現方法があるというのに、あえて極端な方向に誤解を受けやすい言葉を使うというのですね。呆れた。
【Jo】
>>どういう「誤解」を受けるというのでしょう? あのパンフを見て雛祭り否定、命名文化の否定でないと読むのは不可能なんだから「文化大革命」は的を得た評語ですね。
【芥】
macskaさん、呆れても何でもいいからさ、話をズラさないで、ちゃんとtpknさんの問いに答えなよ。私も聞いてみたいね。意見の一部が一致したところで、何で「問答無用でジェンダーフリーを叩きたい人」の「醜い政治」に「加担」することになるわけ?これにきちんと答えるように。これに答えないまま、いたずらに振り出しに戻す無駄なレスばかりするようなら削除しますよ。

Re(1):【VIP】macska様の「文革なんて言わないで」...
 tpkn  - 06/10/13(金) 4:48 -

引用なし
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   (前スレから移行)
http://principle.jp/bbs5/c-board.cgi?cmd=one;no=1129;id=keya1984 へのレス。


macskaチャソ:

>> 私たちの言動をあなたがわかるか否かは、我々が「醜い政治に
>> 賛同しているか否か」によって変動するわけでしょう? で、
>> あなたが自分の信念が正しいと再確認し、納得するためには、
>> 我々を「醜い政治に賛同している」側に含めるという作業が必
>> 要なわけでしょうが。
>
>はっきり言うと、あなたに悪意があるのか、それともただ単に馬鹿なだけなのか、わたしはどちらとも思っていません。もし前者ならすっきり分かるけれど、もし後者ならそれほどまでに馬鹿であるというのがなかなか納得し難いと思うわけですが、前者だと決めつけた覚えはありません。
>
>いまの議論だけでなく、普段からわたしは「愚かさで説明ができることに悪意を見いだすな」という原則(ハンロンの剃刀)を採用しているので、意図を決めつけたとされることは心外です。

あなたはその「ハンロンの剃刀」とやらをこの部分では採用していません。「醜い政治に加担していないのだとしたら、わけがわからない」と述べているわけですから、「愚かさで説明ができることに悪意を見出して」いるわけでしょう。

しかしあなたは、実際には私が「馬鹿である」ということにも「なかなか納得し難い」と言う。とすれば、可能性はもうひとつあるでしょう。

「馬鹿は自分だ」ということです。

>ひな祭りを一切糾弾していませんね。糾弾しているという、ほとんどありえないような無茶苦茶な解釈をあなたが採用しているのは自由ですが、

「自由に採用しているわけではなく、「これは反語である」という文脈で論証しています。

> それが客観的な事実であるかのように書かないでくださいね。

パンフが「〜してませんか?」という否定疑問文によって啓発を行い、逆説的に「〜してはいけない」という趣旨のことを述べているのは客観的事実です。これが反語であると解釈できる理由はすでに述べたので、「反語ではなく、たんなる疑問文である」という方向で反論するしか道は残されてないですよ。

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