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先日、「グローバル競争にとって役に立たない地域や産業(第一次産業)や人間(老人、子供、身障者等)」と書きましたが、これらこそが最も「国家」というものを必要としているのですね。
利益を出しまくっているグローバル企業は逆に「国家」なんて要りません(少なくとも平時においては)。それどころか、あれこれ規制したり法人税とったりする「国家」は障壁です。グローバリズムというのはこの立場に発するものです。
「老人、子供、身障者等」でなくたって、たとえば大震災が起これば、健康でぴんぴんしていた人たちが大量に「弱者」となります。災害時に日本では略奪等があまり起こらない理由の一つは「国家」に対する信頼がまだ厚いからです。国が何もしてくれないと思えば、自分が食うために、子供に食わせるために、略奪でも何でもするでしょう、去年のフィリピン台風の時のように。
労働環境の整備、福祉政策の充実、食料・エネルギーの調達、防災と災害時の対策、これら一般国民の生活と安全に関わることは、国家が最も重視すべきことであるはずです。企業活動の自由とは、自由そのものに価値があるのではなく、自由にすることによって上記の「生活と安全」に資する限りにおいて価値があるのです。
今、国民の関心は「景気」にあることが各種世論調査で示されています。それは当然だろうと思うのですが、この時、騙されやすいのは、「企業的成功を収めている人たちこそ国民を豊かにする方法もいちばんよく知っているのではないか」と思ってしまうことです。それはグローバル企業家の思うツボであり、国民は自分たちにとって最も必要な「国家」を誤った方向に動かすことになります。
残念ながら、相変わらず悪い方向に進んでいるなというのが2014年の感想です。2015年が少しでもマシな方向に進みますように。
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