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>Josefさん:
>バジル二世さんの引用についてですが、しょうもないことを言ってますね。どうせ反論する(できる)奴はいない、と読者を馬鹿にしてるのがアリアリ。
解つてゐる人が讀むとさうなのですね。淺學なため引用した文にもかなりちんぷんかんぷんなところがあります。
>再帰性というなら、ジェンダーという概念がすでに再帰的です。
「再帰的」と云ふ言葉はああいふ意味でいいんですね? でも恥づかしながら私なんかにやこの社會學的性のどこがどう再帰的なのかさつぱり解りません。
>そこに「フリー」なんて語を付けるからおかしくなるわけで、「社会学のオーソドックスな枠組からいうと」などと権威ぶってますが、ジェンダーフリーなんて社会学のオーソドクシーとは何の関係もないでしょう。
よくは解らないけれど、そのやうなチョンボがあるんなら本來ジェンフリは社會學のヘテロドクシー、異端とまで言つても良いのでは?
>だからジェンダーフリーを高い所から定義しようとするのはやめて、現実にどういう文脈で使用されどういう機能を果たしているかを分析した方がいいと思いますが、今さらという感じもしますね。
宮台・荻上の『推奨されるべきは「社会的性別に関わる再帰性*1の自覚」であって、「ジェンダーフリーだから、ああしろ、こうしろ」という直接的メッセージは本来、出てきません』『どんな期待ももはや自明ではないという意識とともに期待がなされる』なんてのは結局なんだかんだで期待してゐて、意味の無い言葉の遊びに思へるんですね。
まあ、スジを通すなら宮台、荻上は玩具會社の需要豫測にまで口出しをしなきやならないところなんだけど、さう云ふことをやると學者馬鹿が目立つし經濟を擔ふ強い奴らからの反撃が怖いからやらないのでせうね。權威をかさに着て何も文句を言はない世の善男善女の社會學的性をチェックしていくチキンな奴ら。本當、この世から消えてなくなれ!
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