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▼masassann2003さん:
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> 選挙のたびに気になることがある。
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> 何かというと、誰に投票したか分かる、との話がよく出てくることだ。
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> 今の時代、投票所、開票作業の中で投票の秘密が守られていないとは思われない。
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> では、なぜこのようなことが言われるのか。本来命と同じく大事な投票権の自由が侵される由々しいことだ(まさに人権侵害だ)。
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> ひとつは、自己の確立が出来ていないため、本来誰にも分からない秘密が分かるのではと自己暗示にかかっている場合。
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> 次は選挙に出る者たち(選良ー本来代議士を指すが、といわれるべき人たち)が、選挙民を縛るために有権者に出来もしない精神的圧力をかけている。ところが、これが案外効き目があって投票の拘束に役立っているようだ。
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> 本来、立候補するものは、有権者の投票の自由を保障すべき立場にあるべきが、ともすると政策以外の色々な手を使って投票権を拘束する立場になる。極端な例が、年寄りの人たちの送り迎えである。以前は隠れて行われていたが、最近では公然と行われるようになってきた。
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> 有権者は、正しい情報を手にすること、うそを見ぬく力、誰にも左右されない自己の確立が望まれる。誤った結果は自分にいずれ降りかかる。
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> 選挙の土台、投票権の自由が保障されない社会では、正しい政治は行われない。
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> 時代遅れにならないために、お互い強くなり、投票の自由を確保し、政治(どんなことでも)が自由に話し合える社会を作りたいものですね。
長崎市長撃たれるー選挙運動中―
情けないことですね。
言論の自由に対する暴力、いつまで経っても根絶できません。
暴力を甘えさせる社会、恐れ、自分には関係ないことのような考え、が暴力を根絶やしに出来ない理由では。
朝日新聞の社説の最後に『テロに屈しない道は、多くの人たちが声をあげることをやめないことだ。そのことを今一度確認しておきたい。」―と書かれている。
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