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バジル二世
- 15/9/28(月) 6:50 -
先の投稿「飢えた」の仮名遣は誤りで「飢ゑた」です。
白状すれば、ここで出たシカゴ学派について私は全く知らないのです。単にリカードの話を読んで、ああ、かう云ふことなのかと膝を打った次第。つまり、税収で足りない分の政府支出は主に公債によって賄はれる。その将来的影響です。
これについて様々な意見がありますね。眉に皺を寄せて、子供や孫の代に負担を押し付けるなと云ふ声。金利が高止まりして、投資活動を圧迫する上に、インフレを惹き起こして人々の生活を圧迫すると云ふ予測もあります。
一方、償還不能になったからと云って命までも取られるものぢゃありません。少なくとも下々の人間はです。どうせ信用やお上の面子が吹っ飛ぶだけ、そのもとでは日用の商品の生産・流通の営為がなほも続くはずとの悲観論を戒める見方です。
しかし私は、際限なく借金してよいかの、あるいは貧しい者のために金を使へ、財政は所得再配分のためにある、とする考へは嫌ひです。他人が懸命に何かのために貯めた金を当て込むのが当然であるみたいなあの自己主張!
洋の東西を問はず、剰余生産は争ひの種になります。これもその代理戦争かも知れません。貧しい者のために働きたいとする人々と私とは経てきたものがもしかしたら大きく違ふのかも知れません。
>でも結局、アメリカに一周遅れで金融工学などをやっても、その分野では圧倒的に強いアメリカの相手になるはずがない。(ご紹介のサイトでの佐伯氏辯)
アングロ・サクソン以前に先物市場を整備し、デリバティブ取引の先駆けをやったのは大坂の堂島米会所を始めた札差ほかです。この事実はNHKの時代劇「まんまこと」なんかも下敷きにしてゐて、江戸の番頭が上方に勉強に行ったりします。
歓喜も失意も山っ気も不正も織り交ぜた人間模様がその後設けられた各地取引所では繰り広げられたでありませう。何故かそんな話に接することが多かった私で、全くこのBBSはバックグラウンドが異なる者のごった煮劇場です。
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バジル二世
- 15/9/27(日) 20:06 -
Josefさん、
>引用されている伊藤元重という人は構造改革推進派、TPP推進論者で、竹中平蔵氏たちのお仲間ですよね。まあそれはいいとして、引用文中にある「ケインジアン」と「シカゴ学派」との対立について、佐伯啓思氏がちょっと言及しているインタビュー記事を紹介します。
伊藤氏がどんな学派に属するのかはJosefさんの話以外に見聞きしたことはありませんが、初学者向けの本を学派の主張で染め抜く様な非「合理的」な人物でもありません。引用にある様にケインジアンの業績の説明がほとんどであり、それへの批判的考察は重要なもののみに留めてゐます。
たとひ財政出動を批判するにせよ、ケインジアンの論理により行ふのが、ほとんどの経済学者だと思ひますし、氏もその掟に従ってゐます。ケインジアンだってあらゆる財政出動の乗数効果が同じでそれらの施策にはどれも等しく意味があると考へてゐるとは限りません。それに訴へるのが「リカードの定理」への言及です。
以前Josefさんは事情で働きに出ざるを得なかった非進学者が学校助成金を負担することに強い違和感を表明なさってゐましたね。ケインジアンのテーマは、学びに飢えた非進学者への減税と、学生向け補助のどちらが、読書など教育振興に繋がるかと云ふのに通じます。意欲があるのだから前者の方が本に出費して読みます。
これを一般的な消費について言ったのが乗数です。例へば、貯蓄に回されがちな子供手当を支給して、入ったお金を衣食住にすぐ使はざるを得ない低所得者の配偶者控除廃止で穴埋めするなんてのは愚の骨頂なのです。消費性向は前者<後者ですから後者が乗数効果大です。
ケインジアンが財政出動策の子供手当に疑義を呈する論理は乗数効果が政策対象者によって異なることに基きますが、状況によっても異なると思ひます。政府が出した将来の社会保障制度への見通しが税の裏付けに始まって嘘臭い時に、公共工事が増えて多少給料が増えようが、それは将来への貯蓄に回るのではと云ふことです。
従って氏がリカードの指摘を「重要なもの」と評価したのに何ら誤りは無く実態の分析に有効と考へます。そして、ケインジアンの主張の骨格は批判派もベースにしてゐるので、「主流」にあって経済学に浸透してゐるのでは? 「普遍性を標榜する」学派も珍しくはなく、ならケインジアンやマルキストは例外なのですか?
少し長い旅行から戻ったばかり。取り急ぎお返事します。
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Josef
- 15/9/18(金) 18:50 -
バジル二世さん、
引用されている伊藤元重という人は構造改革推進派、TPP推進論者で、竹中平蔵氏たちのお仲間ですよね。まあそれはいいとして、引用文中にある「ケインジアン」と「シカゴ学派」との対立について、佐伯啓思氏がちょっと言及しているインタビュー記事を紹介します。佐伯氏は90年代から構造改革を批判していた保守系の学者さんです(したがって伊藤元重氏とは立場を異にします)。
ttp://gendai.ismedia.jp/articles/-/33285
ところで、日本の構造改革(規制緩和)はサッチャーやレーガンのやった改革にならったものですが、経済状況が正反対(インフレとデフレ)であるところに最大の問題があります。
サッチャー=レーガンの改革は、長引くインフレ不況を構造的なものとみて、経済・産業構造を転換すべく、規制の緩和・撤廃を中心とする自由化を行ったものでした。インフレとは「需要>供給」ですから、規制を外して自由化すれば供給サイドが活性化され、競争原理によって然るべき需給と価格のバランスが期待できると考えた。イギリスでは強い抵抗もありましたが、全体としては成功したという評価が一般的です。
ところが、日本はデフレ不況なのに、橋本内閣以降、英米を真似た構造改革をやり続けたんですね。デフレとは「需要<供給」ですから、英米と同じことをやっても、もともと過剰な供給サイドがだぶつくばかりで、過当競争→価格下落→賃金低下というデフレのスパイラルを押し進めるだけです。
日本の経済リーダーたちは、サッチャー=レーガン型の経済政策を万能だと思ったようです。それは彼らが馬鹿だからではなく、サッチャー=レーガン改革の後ろ盾となったシカゴ学派の経済学が普遍性を標榜するものだったからでしょう。伊藤氏も竹中氏も、その経済学を学んだ人たちです。英・米・独も、IMFも、つまりは現在の世界経済をリードする人/組織は、各国政府は通貨量調整と財政バランス(収入と支出の均衡)の調整をする以外には市場に介入しない方が良いというシカゴ学派的イデオロギーに染まっており、日本も軌を一にしているということだろうと思います。そしてこれが経済グローバリズムの本質です。
しかし先進国中、戦後にデフレに陥ったのは日本だけです。そしてデフレ下で上のような自由化政策を行えばどうなるかは少なくとも日本人は身を持って分かったはずです。しかし一度身に付いたイデオロギーを変えるのは容易ではない。昨今、ケインズ的政策を見直す人たちが日本でもアメリカでもフランスでも増えてきているように思いますが、主流派とのせめぎ合いはしばらく続くのだろうと思います。
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バジル二世
- 15/9/11(金) 14:53 -
>Josefさん:
>>あまりよく解らないけれど、そもそも「安倍政権のインフレ目標設定が失敗」との見方が強まってゐる様にも見えます。
>
>失敗でしょうね。細かい要因はいろいろあれど、大元は消費税を8パーセントに上げたことでしょう。しかし消費税増税は政府が強行したわけではなく、民主党政権時代に自・公・民で約束したことを実行しただけであり、しかも全マスコミが賛成し、国民も概ね理解を示すという中で行われたことですから、安倍政権だけのせいにはできません。
>
>消費税10パーセントへの増税も予定されていて、相変わらず全マスコミが賛成し、国民も概ね理解を示しているようですから、増え続ける社会保障費への対応はますます困難になっていくでしょう。自分で自分の首を絞めているのです。
その増税でさへ現状必要な上げ幅からは程遠くて実質減税が進んでゐるのではないかと疑ふほどには大衆は合理的なのではありませんか。以下の「リカードの定理」は人間が裏付けがない大風呂敷を聞いたときなどに見せる反応をよく洞察して面白いと感じます。
>>>以上で説明してきた財政政策による景気安定化は、ケインジアンのマクロ経済政策の根幹です。このようなケインジアンの考え方に対して、マネタリストないしシカゴ学派のグループから次のような批判が出されています。ケインジアンによれば、景気の悪い時には減税をすれば、消費が刺激されて乗数プロセスに乗って、生産や雇用も拡大することになります。マネタリストは、消費者が合理的であるかぎり、そのような減税政策では消費は刺激されないと主張します。
>>>(中略)
>>>さて、もし消費者が合理的であるならば、現時点における消費を現時点での所得のみによって決めることはしないでしょう。生涯設計を考えるのであれば、現時点の所得だけでなく予想される将来時点の所得まで考慮して、現時点の消費を決めるはずです。そのような合理的な消費者が減税をどうみるのでしょうか。たしかに現在の税金は少なくなりますが、それは将来の増税と引き替えに行われるのです。したがって、生涯所得という観点からは、現在の減税はほとんど意味がありません。したがって、本当に合理的であるならば、減税されたからといって消費を増やすべきではないのです。
>>>(中略)もっとも、現実に人々の多くが上で述べたよう合理的に行動するかどうかは、明らかではありません。しかし、減税政策が有効であったとしても、それが人々の錯覚から生じたものであるかもしれないという指摘は重要なものです。(伊藤元重「入門経済学」P.187-188の小見出し「減税政策の有効性に対する疑問:リカードの定理」から、1988年)
昔読んだ教科書を読んでゐて、今は違ふ読み方ができるんだなと妙な感慨を覚えました。ただ、私が本式の学問的な思辨などとは正反対の生活を送ってきた俗物であること、この学者の講義を受けたことなども無いことは述べておいた方がよいと思ひます。
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Josef
- 15/9/9(水) 20:01 -
バジル二世さん
>以前タクシー料金の価格支持政策でJosefさんと論争した様な記憶があるのですが、私の考へは出来るだけ純粋な需要・供給を反映した放任政策です。運転手がそれでは割に合はないと云って田舎に土地を借りて農業に転業するのが丁度いいと云ふくらゐの頑固な古い経済学の信者であります。
いろんな考え方があるでしょう。
私の考えをいうと、経済の基本は「経済」という訳語の元となった「経世済民」、すなわち「世を治め、民を救う」ことであると思います。この言葉は最近やけによく使われるようになった印象がありますが(この夏のNHK高橋是清ドラマでも使われていました)、おそらくその理由は、いわゆる新自由主義が「自由のための自由」となって、民を救うどころか多くの民を貧困に落とす要因になっている、という認識を持つ人が増えているからでしょう。増えているといっても、自由主義信奉者の方が依然として多いですが。
経済活動の自由については、完全自由放任からお上による完全管理を両極として、その間に様々なヴァリエーションがあります。完全放任の方に近づけば近づくほど弱肉強食となって少数者が多数者を搾取する社会となり、完全管理の方に近づくと共産主義国の実例が示すように停滞した抑圧社会となります。
どの辺りでバランスをとるのがいいかは未だ正解のない難問ですが、実質所得が減り続け、そのくせ上位5パーセント、10パーセントの富裕層の所得だけは増えているというここ20年の日本の規制緩和路線は、「経世済民」に逆行するものであると考えます。
というふうな基本的スタンスで私は個々の問題を私なりに判断しています。
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Josef
- 15/9/8(火) 19:29 -
>あまりよく解らないけれど、そもそも「安倍政権のインフレ目標設定が失敗」との見方が強まってゐる様にも見えます。
失敗でしょうね。細かい要因はいろいろあれど、大元は消費税を8パーセントに上げたことでしょう。しかし消費税増税は政府が強行したわけではなく、民主党政権時代に自・公・民で約束したことを実行しただけであり、しかも全マスコミが賛成し、国民も概ね理解を示すという中で行われたことですから、安倍政権だけのせいにはできません。
消費税10パーセントへの増税も予定されていて、相変わらず全マスコミが賛成し、国民も概ね理解を示しているようですから、増え続ける社会保障費への対応はますます困難になっていくでしょう。自分で自分の首を絞めているのです。
もう一つの失敗の原因は、アベノミクス第二の矢(財政)を途中でやめたことでしょう。だから第一の矢の異次元緩和で生まれたマネーが回らなくなってしまった。先月、谷垣自民党幹事長はGDPが依然落ち込んでいることに対して「補正予算を組むことも考えなければ」と言っていましたが、こういう場当たり的な財政政策ではダメでしょう。
しかしこのことについても安倍政権だけを批判するのは酷かもしれません。財政出動しようとすると財務省が渋るのはともかく、マスコミ・国民が一斉に「無駄な公共事業だ」と言い始めるから、なかなか難しい。
こうして、国民の貧困化を押し進める政策ばかりが国民に支持され、実施されるという異様な状況がここ20年くらい続いているように思います。構造改革推進者たちは笑いが止まらないでしょう。
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Josef
- 15/9/8(火) 17:26 -
バジル二世さん
TPPは大詰めのようだから、主要各国は慎重になっています。日本を除いて、と言うべきか。
一般にそうだと思うのですが、交渉というものは最後の段階で意見の食い違いが大きかったらもう決裂です。大詰めとされるTPP交渉は、次回決着しなければ交渉終了という段階に来ています。だからこそ、妥結を目指す国々は交渉開催時期に慎重にならざるをえない。裏交渉を繰り返して、これなら行けるというはっきりした感触を得たときに次回(最終)交渉の日程を決めることになるでしょう。
ところが日本は前回交渉が決裂した後、すぐに次の交渉をやりたがっていましたよね。どうしてなんでしょう。本当は最終決裂を狙っているとか(まさかね)。
まあ、はなから損な交渉に勇んで出掛けるような人たちだから、本質的に交渉下手なんでしょう。こういう人たちに、交渉内容は国会議員にも知らされないという秘密交渉を任せて平気な人の気がしれません。テレビ、大新聞、全部そうです。集団的自衛権なんかよりこっちの方がよほど「主権」そして「生活」に関わることなのに。
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バジル二世
- 15/8/31(月) 15:01 -
>Josefさん:
>まだ終わったわけじゃないから「祝!」は早いですが、ひとまず合意に辿りつかなかったことを喜びたいと思います。といっても、「いずれそのうち」という雰囲気がある限り、日本の一次産業が衰退していくことに変わりはないでしょう。はっきり決裂して終わり!としてほしいものです。
それがぬか喜びにならない事を心底から願ひますよ。ちなみに月末が最後の合意のチャンスと報じられたのに、今朝の日経新聞もNHKニュースもそして政府のTPP対策本部のホームページにも、新たな会合の予定ほかは書いてゐなかった(新聞・テレビには週間の予定が纏められてゐたりする)ので、騒がれるのを嫌気しての沈黙なのか。
ここで書いたことで裏目に出るのかも知れませんが、やはり書いてしまふと、産業保護の自主権はオバマさんとかの手柄の為に献上するには勿体なさすぎます。これは労働者待遇の切り下げなんかも含んでゐて、4、5年前には議題に貿易収支改善を目的とした労働者保護緩和の禁止がありました。
以前タクシー料金の価格支持政策でJosefさんと論争した様な記憶があるのですが、私の考へは出来るだけ純粋な需要・供給を反映した放任政策です。運転手がそれでは割に合はないと云って田舎に土地を借りて農業に転業するのが丁度いいと云ふくらゐの頑固な古い経済学の信者であります。
けれど外国資本の参入のために価格支持をやめろと云ふならば本末転倒です。産業政策は第一義的に国内事業者のものでなければいけないと思ひます。労使含めた彼らの対論を通じた意見の積み上げ無しの自由化は、安倍さんの14日の談話にあった空疎な「世界の大勢」とかへの順応のパフォーマンスに過ぎません。
あまりよく解らないけれど、そもそも「安倍政権のインフレ目標設定が失敗」との見方が強まってゐる様にも見えます。これも保守的な経済学派にはうなづきやすいものです。つまり国債を日銀が買ひ入れることにより、市中にお金を流すことが物価上昇を招き実質賃金の伸びを相殺してしまひ不況を長引かせると云ふ理窟です。
例へば、私などは個人情報を渡すのが嫌なので読めないけれど野口悠紀夫氏の「マイナス成長が明確に示す経済政策の根本的誤り」(週刊ダイヤモンド)なんかで、アベノミクスへの本質的な批判に見えます。以上、「新自由主義」的で人権軽視的な観点からの最近経済論の風景です。笑
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バジル二世
- 15/8/12(水) 8:41 -
>Josefさん:
>私学助成は定着して時間がたっており、今さら憲法違反だと言って騒ぐのもどうかと思うし、本気で騒ぐ人もいません。「勤労の義務」を本気で問題にする人もいません。既成事実を前に、憲法は手出しできない状態であると言ってもいいでしょう。
>
それにどう云ふ態度をとるかは法文がどうあるべきかと云ふ感性によりますね。もう30年も昔の話ですが先の私の友人は「憲法破壊」と嘆いてゐました。私学財政がどうなるかではなく、「王様は裸だ」と言へるかどうか。
言葉を曲げることへの不感症です。日本にそれがはびこってゐるのが嫌なので、たとひ中共の核の爆風の中で蒸発しようと手足をもがれようと、憲法を何とかするのが先でせう。根本解決には、改正か死かなどの危機感が必要になるんぢゃないか。
>だから、現憲法のいいところは残し、おかしなところは改正していけばいいと思うのですが、どこをどう改正するかという議論にもっていくことすらままならない状態がもう何十年も続いているのですね。
憲法法文を踏みにじってもいい、嘘も方便だと云ふ人には、あなたは最悪死ぬこともある重大な欠陥がある薬を医者の「副作用なし」と云ふ嘘で飲まされ続けてもいいのですか、と問ひたいです。
歴史を知らぬ私が大きなことを言ってしまふと、現憲法の美辞に惑はされて放置してきた責任は免れ様がありません。これまで不勉強で憲法に反対することもなかった私なので、その結果の死を不承不承ながらも受け入れざるを得ないのです。
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Josef
- 15/8/11(火) 18:11 -
>バジル二世さん:
> (…)、宗教の学校運営・維持に現在出てゐる補助金も、かつて友人に聞いたところでは明白な89条の違反とのことでした。
そうですね。普通に89条を読めば、宗教学校は特にそうですが、一般の私立の学校への私学助成金も憲法違反の疑いが相当強いと思います。
■第八十九条 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。
現在の私立学校は設立の認可や指導要領の順守など「公の支配に属」しているから助成金は合法ということなのでしょうが、そうやって公が関われば公金を出せるとなると、適当に法律を作って「公の支配に属している」という形をとれば公金支出OKとなって国と私企業との合法的癒着が許されることにもなりかねません。Wikiの「私学助成」の項目をみると1971年の参議院予算委員会において内閣法制局長官が「憲法八十九条の問題は、確かに率直に言って実は弱る規定であります」と述べ、現実的にみれば現状の私学助成は可であるという解釈をとるべきだとしながらも、「正直に憲法の規定に立ち返ってみますと、その辺はやや問題があるように思います」と答弁しています。
「勤労の義務」というのも、変と感じる人が多いのではないでしょうか。
■第二十七条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
老人、子供、障害者は別としても、勤労していない人なんていっぱいいます。憲法に則って彼ら彼女らを罰したり強制的に勤労させる法律があるというのは聞いたことがありません。本当に「義務」なら放っておいちゃいけないでしょうに。もちろん誰も人を強制的に勤労させる法律を作るべきとは思っていないでしょう(私も思っていません)。つまり「勤労の義務」は死に条文なんですね。
私学助成は定着して時間がたっており、今さら憲法違反だと言って騒ぐのもどうかと思うし、本気で騒ぐ人もいません。「勤労の義務」を本気で問題にする人もいません。既成事実を前に、憲法は手出しできない状態であると言ってもいいでしょう。
だから、現憲法のいいところは残し、おかしなところは改正していけばいいと思うのですが、どこをどう改正するかという議論にもっていくことすらままならない状態がもう何十年も続いているのですね。
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バジル二世
- 15/8/8(土) 11:21 -
以上は、前スレ
ttp://principle.jp/bbs5/c-board.cgi?cmd=one;no=3140;id=keya1984
を受けたものです。
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バジル二世
- 15/8/8(土) 11:01 -
>Josefさん:
>
>つまり日本は、国民や国土の安全保障を図る上での合理的選択が憲法違反になってしまうという重大な矛盾の中にあるわけです。これは今に始まったことではなく、憲法を普通に読めば自衛隊がすでに憲法違反ですから、戦後のほとんどの期間を日本は重大な矛盾の中で過ごしてきたと言わざるをえません。
>
>(中略)
>
>憲法は国の基本法だから、当然大切。そういう意識は充分にある。ところがそれは他から与えられたものであるがゆえに、言い換えると「彼方」にあるものであるがゆえに、事実上は解釈改憲の繰り返しによって蔑ろにし、形式上は不合理なまでに堅守する。
つまり、憲法が顧られず、条文違反を躊躇しない気分が蔓延してゐるってことですね。これは前述した「新版靖國論集」よれば所謂「国家神道」を潰す目的で盛り込んだ憲法の政教分離規定なんかについても、その様です。
ちょっと本を読むと書きたくなっちゃふ目立ちたがりなので続けますと、宗教の学校運営・維持に現在出てゐる補助金も、かつて友人に聞いたところでは明白な89条の違反とのことでした。お祭りや文化財保護もさうかも知れません。
アメリカを苦しめた大日本帝国の再起の芽を摘む道具だった面が色濃い現憲法は日本人の生活実態からかけ離れ、守ることが困難だってことです。SEALDsが「憲法を守れ」と云ふのなら、憲法が内包してゐるさうした問題はどうなるのでせうか?
SEALDsへの不満はあと、立憲主義とは民主主義を守ることだって前提についてです。どれだけ民意を政策に反映すれば民主主義なのかの基準が無い以上は、定義の無い言葉の内容を別の言葉の意味に包摂させる違和感があります。
「国体」をConstitutionと云ひ、「万機公論に決す」ほかの民意の反映がそこに伝統的に含まれるとしても、それがDemocracyになるかは意見が分かれるはずです。本来のさうしたConstitutionalismと彼らの云ふ立憲主義は違ふものですね。
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>その理由が「新安保法制が必要だから」ではなくて「アメリカと約束したから」であるところに精神的退廃を感じます。
その集団的自衛権で、中共の小国いぢめとかの何かいい打開策があるんでせうかね? SEALDsとかの意見しか読んでないけどイラク特措法を恒久化したとして、日本の民間人に憎悪が向くだけって感じがする。
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Josef
- 15/8/4(火) 12:31 -
TPPに関連して、以前、芥屋アニキと「日本の交渉下手」について話したことがありますが、今回のTPPでも、本当に間抜けですよね。
私がTPPに反対であることはさておいて、交渉を成功させたいなら甘利さんみたいに「早く妥結させたい、早く、早く」みたいな態度を見せちゃダメなのは大原則でしょう。あんな態度見せるから、妥結が間近という段になって、ニュージーランドが高い要求をしてくるわけで。「早く妥結したいの?わかった、じゃあこれとこれも呑んでね。妥結したいんでしょ?したいんでしょ?したいんでしょ?」
TVニュースをみると甘利さんはだいぶ頭にきている様子で「(某国代表は)頭を冷やしてほしい」と言っていましたが、頭に血が上っているのは明らかに甘利さんの方でした。
本来は、「離脱もありうる」という姿勢をほのめかさないといけない。もちろん、口先だけではなく、「日本は本当に離脱するのでは」と思わせないといけません。カナダも、マレーシアも、それをやっているし、アメリカでも有力な次期大統領候補とされるクリントン氏が先月演説で「得にならないなら交渉を離脱する」と明言しました。
日本はTPP交渉の最重要国の一つです(マーケットがでかくてマネーが豊富という意味で)。いろんなチャンネルを使って、「離脱もあるぞ、本気だぞ」というところを示せばかなりの効果が期待できます。ところが反対に日本はあれもこれも譲歩して、「こっちはこれだけ譲歩したんだから、そっちも誠意を示せ」みたいな交渉をしているようにみえます。
そして政、財、官、マスコミこぞって「TPP万歳」「何としてでも早期妥結を」と叫び続けている。今年に入って農協改革なるものを断行し、反対の声を弱体化させるという、早まった行動までしてしまいました。こうした日本の国内情勢を交渉参加国は見ています。「もっと要求しても日本は呑むぞ」――足許を見られているのですね。
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Josef
- 15/8/3(月) 21:30 -
まだ終わったわけじゃないから「祝!」は早いですが、ひとまず合意に辿りつかなかったことを喜びたいと思います。といっても、「いずれそのうち」という雰囲気がある限り、日本の一次産業が衰退していくことに変わりはないでしょう。はっきり決裂して終わり!としてほしいものです。
しばらく前、ナナコさんが家庭菜園をやっているという書き込みに絡めて、私はこう書きました(検索してみると2009年6月15日。そんな昔だったっけ?)。
>農業はしっかり保護すべきです。ヨーロッパに行ってきた学生なんかがよく「あっちは野菜や果物が安い、おまけに劇場も安い、なのに日本は・・・」と羨ましがったりしてますが、保護(援助)されてることを知らないんですね。
「食」は生きていく上での基本中の基本。国民の「食」を国民みんなで守っていくのは当然のことです。ヨーロッパで野菜や果物が安いのは、市場価格を低く抑え、その代わり農家に国が直接報酬を支払うという形をとっているからです。もちろん農家に支払われるお金を調達するために、消費税は日本よりずっと高い。ドイツの農家は収入の8割以上が国から支給されています。フランスに至っては優に9割を超えると言われています。こうした手厚い保護があってはじめて、たとえば広大な葡萄畑が維持され、質の高いワインが安く提供される。
対して日本は保護があまりにも薄く、ただでさえ後継者は減る一方、そこに「日本の農業は保護されすぎている」という栃狂ったデタラメ言説がまかり通って、農村は荒廃し、今や食料自給率は先進国中最低クラスとなっています。
日本はTPPみたいな馬鹿げたグローバリズム(=国境なき金儲け至上主義)に血道を上げるのではなく、しっかり足もとを見て、日本の一次産業を立て直す努力を始めるべきなのです。
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Josef
- 15/7/30(木) 18:41 -
いつからか、数値主義(≒素人主義)の傾向がどんどん強くなってきていて、数値では測れないor測るのは困難とされていた領域をも数値主義が席巻するようになっていますが、新安保法制に関する世論は「反対」が圧倒的に多いにもかかわらず政府は強硬に通そうとしています。この件では「数値」といえども支配できないようです。なぜか。その理由が「新安保法制が必要だから」ではなくて「アメリカと約束したから」であるところに精神的退廃を感じます。
アメリカ従属>>>>>数値主義
仮に従属を脱しても強弱が逆になるだけという退廃。
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Josef
- 15/7/30(木) 17:56 -
>ラクシュンさん:
>それだったら、どこがどれほど似ているのかということを説明すればいいでしょう。
お互い相手国のことが気になってしょうがなくて悪口三昧、今件についていえば(というか言いましたが)、相手国の言うことが気になって「また、してやられた!」となってる様子がまるで「鏡」のようです。しかしこれを似ていると見るかどうかは主観だから、なにがなんでも似ていると言い張る気はないです。
>>↑これは韓国の国内向け解釈と同一ですね。
>
>それは知っていますど、だから何?
上記のような「鏡」になっていやしませんか、というのが含意です。
>>「つまり従来とは異なる新しい認識が示されているわけではありません」、なんて、そんなこと断言していいの。
>
>こういう解釈ってかなり能天気な気がする。
よく分からないのですが、前も引用した以下の文の中に日本の従来とは異なる認識が示されていますか?
More specifically, Japan is prepared to take measures that allow an understanding that there were a large number of Koreans and others who were brought against their will and forced to work under harsh conditions in the 1940s at some of the sites, and that, during World War II, the Government of Japan also implemented its policy of requisition.
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ラクシュン
- 15/7/29(水) 21:42 -
>Josefさん:
>そっくりさんでも「似てる」と言う人と「似てない」と言う人がいるから、これ以上は似てる似てないを言ってもしょうがないでしょうね。私はよく似ていると思いますが。
それだったら、どこがどれほど似ているのかということを説明すればいいでしょう。
例えば大国に気兼ねしているところ、みたいな(書いてたらゴメン)。
だけど前後関係ははともかくとして、韓国には日本の手先だったということだけは、何が何でも払拭しなければならないインセンティブが働いているわけですよ。 だから「昔は良かったなぁ〜」と呟いた老人までが殺されてしまわなきゃあいけなくなる訳。
>↑これは韓国の国内向け解釈と同一ですね。
それは知っていますど、だから何?
>実際のところは日韓両政府の狙い通り「曖昧」というしかないと思います。
これだけの前提からなんで、「狙い通り「曖昧」というしかないと思います。」なんて結論が導かれるのか理解できません。
その妥協自体が、日本の事なかれ主義を見越した韓国の戦略だとは思わないのですか?
>たとえば、「連れて来られ、働かされた」という受動文には、動作主が書かれていません。
テレビで聞きました。
>動作主を日本企業あるいは併合や戦争という「状況」と取ったとしても、これについては1965年の日韓条約で解決済という従来の日本の立場が継続されることになります(韓国は個別の訴えは可という立場)。つまり従来とは異なる新しい認識が示されているわけではありません。
「つまり従来とは異なる新しい認識が示されているわけではありません」、なんて、そんなこと断言していいの。
こういう解釈ってかなり能天気な気がする。
>一方、日常的な語法では、「働くことを強要される」(forced to work)といえば「強制労働」(forced labor)と同じじゃないか、とも言えるわけで、その解釈に縋って「強制労働」を諦めたのが韓国側。
縋って諦めたんじゃなくって、そこに韓国の利得があるよ。
その解釈では、金のために自ら望んで働いていた労働者の存在が一人もいなくなってるでしょ。
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Josef
- 15/7/24(金) 20:07 -
新安保法制というやつは10本くらいの法律がセットになっているというから、私のような素人が理解するのは難しそうです。
そこで、その中のほんの一部、集団的自衛権についてだけ思うところを言うと、国の安全保障上、これが許されないという理由は私には見つけられません。弱い国、ちょっと攻められたらひとたまりもない国はたくさんあるわけで、そういう国同士が、強い国も加わって、有事には協力しようというのは自然なことでしょう。NATO(北大西洋条約機構)はそういう協力体制の代表的なもので、周辺国を個別撃破して国土拡張を図っていた頃のソビエト連邦もNATO加盟国には手が出せませんでした。
現在の日本がどういう状況にあるかは私には確たることは言えません。また日本を取り巻く国際情勢が今後どうなっていくかはたぶん誰にも分かりません。分からないからこそ、最初から手足を縛ってしまうのは愚かな選択でしょう。集団的自衛権はすべて国に認められている権利だそうだから、日本だけ自縄自縛しなければならない合理的理由は、少なくとも安全保障上は見出せません。
となると、集団的自衛権行使を認めるべきではないという考え方は、国の安全保障上の理由ではなく、もっぱら日本国憲法に違反するという理由から来ていると思われます。つまり日本は、国民や国土の安全保障を図る上での合理的選択が憲法違反になってしまうという重大な矛盾の中にあるわけです。これは今に始まったことではなく、憲法を普通に読めば自衛隊がすでに憲法違反ですから、戦後のほとんどの期間を日本は重大な矛盾の中で過ごしてきたと言わざるをえません。
ならば憲法を変えればいいのですが、そしてそう主張する人は昭和20年代から現在に至るまで存在しているのですが、現実には極めて難しい。改憲の規定が厳しいということもさることながら、どうも日本人は憲法を一字でも変えることに対して、おそらく自分でも理由が説明できないような恐怖心を持っているようにみえます。
なぜか。よく分かりませんが、憲法を自分たちの手で作っていないことに起因するように思えてなりません。憲法は国の基本法だから、当然大切。そういう意識は充分にある。ところがそれは他から与えられたものであるがゆえに、言い換えると「彼方」にあるものであるがゆえに、事実上は解釈改憲の繰り返しによって蔑ろにし、形式上は不合理なまでに堅守する。「神の教え」(聖典)がしばしばそうであるように、「教え」を忠実に守っていたらやってられない、だから生活上の都合に合わせて適宜「教え」を破る、しかし「教え」自体を改変することは畏れ多くて決してやらない。そういう心理的改憲不能状態に陥っているのではないでしょうか。
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Josef
- 15/7/17(金) 18:57 -
>ラクシュンさん:
>>「意志に反して連れて来られ、働かされた」との文言で最終的に折り合いをつけたようですが、この後の反応もまた日韓はよく似ています。
>
>ぜんぜん似ていないでしょう?
そっくりさんでも「似てる」と言う人と「似てない」と言う人がいるから、これ以上は似てる似てないを言ってもしょうがないでしょうね。私はよく似ていると思いますが。
>「意志に反して連れて来られ、働かされた」という文言は英語では「強制労働」になるそうですから、日本がしてやられたことになると思う。
↑これは韓国の国内向け解釈と同一ですね。
実際のところは日韓両政府の狙い通り「曖昧」というしかないと思います。
たとえば、「連れて来られ、働かされた」という受動文には、動作主が書かれていません。動作主を日本企業あるいは併合や戦争という「状況」と取ったとしても、これについては1965年の日韓条約で解決済という従来の日本の立場が継続されることになります(韓国は個別の訴えは可という立場)。つまり従来とは異なる新しい認識が示されているわけではありません。
また、日本政府については、別の文節で「第二次世界大戦中、日本政府も徴用政策を行った」とあって、「連れて来て、働かされた」とは直接には関連付けられていません。
「徴用政策」(policy of requisition)は、戦争のような非常時に国民を各種労働に動員するものとして多くの国が行ったもので(日本では国家総動員法に基づいて徴用令が敷かれ、1944年8月からは朝鮮人にも適用された)、いわゆる「強制労働」とは見なさないのが慣例のようです(たとえば徴兵はforced to workではあっても「強制労働」(forced labor)とは見なさない)。
「強制労働」という語に明確な定義があるわけではないようですが、国際法廷のような場では、たとえばナチス・ドイツやスターリン・ソビエトの強制収容所などでの虐待的労働を指すのが通例らしいので、この語を避けようとしたのが日本側。
一方、日常的な語法では、「働くことを強要される」(forced to work)といえば「強制労働」(forced labor)と同じじゃないか、とも言えるわけで、その解釈に縋って「強制労働」を諦めたのが韓国側。
いずれにしても原文は以下の通り結構曖昧です。裁判の判決文ではないから当然かもしれませんが。
More specifically, Japan is prepared to take measures that allow an understanding that there were a large number of Koreans and others who were brought against their will and forced to work under harsh conditions in the 1940s at some of the sites, and that, during World War II, the Government of Japan also implemented its policy of requisition.
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