待つのは好きではない。 基地の味気ない一室で無駄に右往左往しながら、キリーは時が満ちるのを待っていた。予定の時間まではまだ大分あるが、備え付けのパイス椅子に腰を下ろしていてもどうにも落ち着かない。 元々自分は、そこまで堪え性のない性格ではなかった筈だった。受動的であることに堪えられなくなったのは、正式にC−LOWSの主要メンバーとして迎えられてからである。 その中の誰よりも、自分が格下であるのに気付くのに時間はかからなかった。焦るなというほうが無理であったろう。その焦燥は今でも消えてはいない。 扉を二度叩かれて、キリーは小さく息を呑んだ。中断された思考がそのまま霧散し、現実の問題をゆらりと浮かび上がらせる。 こちらが指図するよりも先に、あっけないほど容易くドアが開いた。顔を出したのは呼び出した相手ではなくクレイムエッジだったが。
「連れてきたぞ」 「……ああ」
頷いて、埃だけが乗ったテーブルに指を落とす。クレイムエッジに続いて顔を出したのは少年だった。少なくとも見かけだけならば、そう表現しても間違いではない。 機体を撃破されて、それでも五体満足で帰ってきたレイヴン。それも、ここ最近での。
(……ノルデンフェルトは三人目だった)
二人目は既に行方が知れない。残ったのは、最初の一人。
「アレス」 「復帰早々に呼び出しとはね。俺、なんかやったっけか?」
空惚けているが、思い当たる節はあるのだろう。腕を組んで口端を吊ったその顔は、外見年齢からはおよそかけ離れた歪さを覗かせている。
「随分、時間がかかったみたいだな。復帰してくるまで」 「撃破されてから、どうも義体の調子が悪くってねぇ。メンテやらなにやらで随分搾り取られたさ。一ヶ月以上も休業しちまったしな」
投げやりに言いながら、アレスは自分の肩を掴んで数度腕を回した。逆の腕でも同じことをしてから、控えめに肩を竦めるように両手を広げた。
「で、俺がそんなことになってる間に、俺と同じ目に遭った奴が二人も出たというわけだ。まったく随分なお話だよ」 「流石に情報収集はきっちりやっていたみたいだな」 「いんや、さっきこの爺さんから聞いたんだぜ。ノルデンフェルトも、殄戮の奴もどっか行っちまったんだってな。お前が気にしてるのは、俺もそうゆう行動に出るんじゃないかってことだろ」
キリーは即座にクレイムエッジへと視線を向けたが、扉の傍らで壁に背中を預けている老人は軽く首を傾げただけだった。そこに微笑が加わっていなければ、ついにボケたかという判断も出来たのだろうが。 溜息はつかず、キリーはゆっくりと首を振った。
「それもある。けど、それだけじゃない」 「分かってるさ。俺を蹴散らしてくれたのが誰だってことだろう?」 「……ああ。そうだよ」 「その分だと、今現在敵の素性に関してはパサラってことか。意外とここの情報網も抜けてんだねぇ」
軽薄にそう口ずさむアレスの態度に、憤りを覚えなかったわけではない。口元を掌で拭ってほほの引き攣りを消すと、感情のない至って事務的な口調で――そうあってくれればいいが――続ける。
「お前は見ている筈だな? 自分を倒したACを。それを教えて欲しい。機体構成だけでも判れば、ある程度の目星ぐらいは付けられる」
レイヴンズ・ケイジという傭兵支援組織が消滅して、レイヴン達はACパーツの購入すら自分の「つて」を頼らざるを得ない状態となった。企業体の後ろ盾を持つC−LAWSは兎も角、在野レイヴン達の多くはパーツの補充もままならないのが現状である。 ならば細部の違いこそあれ、大まかなパーツ構成さえ把握できれば、現在判明している在野レイヴンのアセンブルと照合し何らかの関係性を見つけることができるかもしれない。 だがそんなこちらの読みに対して、アレスは小ばかにしているような笑みを見せるだけだった。少年のような外見から感じられるのは他愛もない憎たらしさだが、その男は自分よりも年上の筈だった。その事実を鑑みれば、可愛げなど感じられるものではない。
「何がおかしい」 「いや、そりゃ可笑しいさ。なぁ?」
そう言ってアレスは同意でも求めるように、ドアの隣に背を預けて傍聴していたクレイムエッジのほうに顔を向けた。突然会話の矛先を向けられた老人は意外そうに眉を顰めるも、肩を竦めただけで言葉は発さない。 アレスはそんな相手の反応に不満そうだったが、やれやれといった様子で首を振った。そしてこちらに向き直る。
「さて、んじゃはっきり言うぜ。俺はな、俺の機体にやられた」 「…………なに?」
意味が理解できず、キリーは呆けた声を漏らすしかできなかった。アレスは親指を立てて自分の顎の辺りを指し示すと、まくしたてるように口調を早めた。
「だから、俺の機体さ。ウィクトリアだ。あれと全く同じACが出てきた。んで、そいつにやられた。OK?」 「アセンブルがか?」 「いんや、カラーリングからエンブレムまで。頭のてっぺんから足のつま先まで見事に再現された紛れもない俺のウィクトリアだよ。まるっとコピーされたわけだな。内装まで、ね。どっから漏れたか知らんけどよ」 「情報の管理は徹底されている」 「だがそうでなけりゃ、内装の一切まで正確にコピるのは容易なことじゃないだろ? 俺には分かるね、自分の機体だ。アレはチューニングだって同じパターンでやってるぜ。或いは、誰かが流したのかもしれねぇなぁ。メンバーにゃ他人のアセンぐらい、簡単に閲覧させてくれるようになってるし」 「裏切り者なんてここには――」 「いたじゃねぇか、既に一人」
ぎしりという異音が、キリーの耳に確かに届いた。それは恐らく、自分の身体が響かせた軋みなのだろう。身体の中から湧き出た耳障りな音。それは現実として存在するモノではないのだろうが、アレスは話を切り替えた。何かが顔にでも出ていたか。
「まぁ、なんだ。昔の怪談で言うドッペルゲンガーとか、そういったものが出たってことなのかねぇ。なんとも、現実味のない話だけどよ」 「ドッペルゲンガー?」 「なんだ、知らないのか。割かしポピュラーなもんだと思ってたんだけどさ」 「それが――」
まったく予想外とでもいうような呆れ顔を返され、キリーは無意識の内に眉を顰めた。そのまま何かを言い返そうとして――思いついた言葉がどれを取っても文句以外の何物でもないことに気付き、やはり反射的に口を噤む。 一度言葉を呑み込んでしまうと、そのまま返すべき言葉も見失ってしまう。キリーが二の句を踏んでいる間に、割って入ったのはクレイムエッジだった。
「ドッペルゲンガーとは、自分と瓜二つの姿をした別人そのもの、或いはそういった現象のことだよ。一つの霊現象とも言われておる」 「霊現象?」 「自分自身のドッペルゲンガーを見た者には、近い内に死が訪れるという逸話があるのだよ。嘗ての国家時代の大統領がこの現象に出会った暫し後に暗殺されたという例もある。他にも幾つかな。そういった実例があった故に、一部の人の記憶には鮮明に残っているというわけだが」 「なんだ、オカルトか」 「基本的にはな。だが脳障害の一つという見解もあり、実際腫瘍の切除でこの現象が起こらなくなったという事例もある。まぁこれに関しては、今回の件とは関係ないだろうが」
説明を続けながら、クレイムエッジは丁度キリーとアレスの中間にあたる位置まで歩を進めていった。その場所で机に手をつき体重を預けると、もう片方の手を軽く振り上げる。
「なんにしろ、敵の呼称すらないのは不便だろう。折角よい通し名が見つかったのだ。これからはそれを使えばいい」 「ん……ああ…………そうだな」
クレイムエッジの話を聞いていなかったわけではないが、それでも彼の振りに対する反応が僅かに遅れた。別に大した理由でもない、相手がそんな怪現象を模しているだけの愉快犯であるならば――怪奇現象を模っての行動など、愉快犯以外の何物でもなかろうが――今現在の自分の苦労はなんなのかと。そんな逡巡が浮かんでいただけだ。 クレイムエッジはこちらの反応を疑問に思ったようだったが、追求はしてこなかった。その代わりもう一度腕を振ると、肩越しにアレスへ視線を送る。
「まぁ、おぬしもそういった逸話通りにならなければいいがな」 「生憎、俺はまだ死ねないぜ? 告白すらできてねぇってのによ」 「そいつは死亡フラグというやつだ」 「知るかよ、そんなこと」
既にただの掛け合いへと変じた彼らの会話への興味は容易に失せて、キリーは唇を引き締めて腕を組んだ。相手のやり口は掴めた……が、それだけである。素性も目的も分からず仕舞いだ。 この先は自分の頭で補うしかない。
(同一犯として、毎回機体を総入れ替えできるだけの財力の持ち主、か)
その前提であれば、自ずと相手は限られてくる。撃退したACのパーツを自分のものとして再利用しているラーの眼のカマラ、嘗てシングルナンバーと呼ばれた二人の在野。有力なのはこの辺りか。アレスや、或いはノルデンフェルトの機体の完全なコピーを作ったという前提で判断するのならば、C−LAWSのメンバーも疑わざるを得ない。企業専属メンバーであればパーツの入手も容易だろう。イージス社の御曹司然り、ガーランドの実験AI然り。ひょっとすれば外装を偽装したACで、新型の内装パーツの性能実験を行っているのかもしれない。企業体の性質を鑑み、件の二人が敗北したことを含めれば、その可能性はおおいに考えられる。尤も、それが効率のいい方法とはどうやっても思えないが。
「なぁ、もういいか?」
呼びかけられて、キリーは思考を中断した。 いつの間にか俯いていた顔をあげれば、頬杖をついたアレスの顔と、とっくに移動してドアノブに手をかけているクレイムエッジの姿が見えた。自覚していた以上に黙考していたのか、それとも彼らの機微がこいらの予想よりも早かっただけか。 なんにせよアレスは既に腰を半ばまで浮かせており、机に肘をつくにはいささか無茶な体勢であるように見えた。それが一種の催促なのかどうかは判別しかねたものの、こちらが首肯すると相手はすぐに椅子を蹴って踵を返した。
「悪いね。情報屋にも、久しぶりに顔を出さないといけないからさ」 「……人の好みをとやかく言う趣味はないが、情報屋通いの費用をこちらの経費で賄おうとするのはやめてくれないか」 「人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて地獄に落ちるぜ?」
後ろ手を振り、悪びれもせずそうのたまう少年姿の先達は、そのまま通路の向こうへと姿を消した。目配せすると、クレイムエッジもそのまま退室する。 部屋に一人残されて、改めてキリーは熟考に耽った。いや、耽ろうとした。その次の瞬間に、それを聞いた。
「――嘘は言ってないわねぇ。けど、口にしていないことも多い」 「!?」
突然の呼びかけに戦慄する。 アレス達が立ち去り、この近辺には誰の姿も無かった。それは間違いない。焦燥と共に振り返るが、やはりそこには誰もいなかった。 聞き違いかと胸を撫で下ろし、だがやはり声の主は近くに潜んでいるらしかった。次の句を告げてくる。
「どうも貴方の周りには、隠し事の多い人たちが集まるようね。知らないことが幸か不幸かは、私には判断しかねるけれど」 「誰だっ!?」
声を張り上げるが返答は無い。だが人の気配はする。何度も辺りを見回して、その中で長い髪が尾を引くように目端に触れるのにも気付いていた。 だがそれをなびかせる当人が、いつまで経っても視界に収められない。女の声だった。聞き覚えは無い。しかし澄んではいる。
「私は貴方をよく知らない。だから、伝言だけを置いていくことにする」 「伝言?」 「ノルデンフェルトが、貴方に向けた最後になるだろう言葉。きっと貴方は、もう彼に遭うこともない。だからこれが最後になる」 「ノル――なん、だって?」 「黙って聞きなさい。いい? 『誰かがくれたものではない、自分の意思を信じる。それが出来なければこの問題、キサマ如きではどうにもならないだろうな』だそうよ。案外、頼りにはされていないようね」 「アイツは最後まで嫌がらせしか出来ないのか!?」
激情に任せて振り向いたが、やはりそこには誰の姿もなかった。振り被った拳も向ける相手がいなければ意味がない。どの道相手が女であるなら、殴打などもっての他だが。 声の主は消えてはいない。不定期に合成樹脂の床を叩く軽い足音だけが、それを確信させてくれる。気配などというものは、所詮勘でしかない。 そしてやはり背後から、呆れや落胆、そういったものを含んだ声音で相対する何者かは言ってきた。
「……本当に何も知らないのね」 「勝手に呆れられても困る」 「確かに、そうかもしれないけど」 「ああ、確かに何も知らないさ。教えてくれなんて甘えたことは言わないとしても、俺にはまだ何もわからない。ノルデンフェルトが裏切った理由、殄戮の奴が何処に消えたのか、お前が言うアレスの隠し事。そして俺が今、何と戦っているのかすら。全部、全部だ」
自棄を起こしている。 それを自覚して尚、噴き出した毒は止まらなかった。一度漏れた憤りは濁流となって、口を噤むことすら忘れ意思の赴くままに狭い一室を席巻する。
「俺はC−LAWSだ。企業の狗だ、保身に走った愚か者だと散々罵られているとしても、俺はそのことに誇りを持っている。ノルデンフェルトはそれを嘲笑うのか? スカルボーンには、最初から忠誠なんてないことぐらい分かってる。クレイムエッジは全部余興だとほざきやがった。どいつもこいつも勝手な奴ばかりで……これじゃあ、俺が馬鹿みたいじゃないか」
最後は愚痴でしかなかった。日頃から堆く積層していった自らの鬱憤を撒き散らしているに過ぎない。 頭を抱えた腕を振り上げても、叩きつけるべき壁はあまりに遠かった。拳は空を切って、虚しい音を響かせる。 暫く、返答は返ってこなかった。居なくなったのかと訝った頃に、さえずるような小さな嘆息が耳に届く。
「……成る程。コケにされるわけだ」 「なんとでも言え……!」
奥歯を軋ませて、キリーは唸り声をあげた。声の主は嘲笑うわけでもない、ただ静かに聞いてくる。 本気で答を問うているような口調ではないように感じられたが。
「誇りなんて持っていても、いいことなんて何も無い。どうしてあなたは、そんなものを大事にしているの?」 「それは……なんでそんなことを、お前に教えなきゃならないんだ」 「答えたくないならそれでもいいけど、果たしてそれでいいのかしら。私はきっと、そちらさんが欲しいものを沢山手にしている。邪険にはしないほうがいいかもしれないねぇ」 「……取引か?」 「そういう形になるかは、私の気分次第ってやつかな」 (ふざけるな!)
声には出さず歯噛みして、キリーは苛立ちと共に毒づいた。そも、何故自分がこんな意味不明な状況に立たされているのか。誰とも知れぬ女とこんな会話を交わすことに意味を感じろというのは、どう控えめに考えても理不尽だろう。それとも、こんなくだらない言葉の交換の中に作為的な部分を探せとでもいうのか。 もしそれが発見できるなら、一つの取引の形として相応の台詞を選べるだろう。相手が望む反応を。それが単にこちらが屈辱に打ち震える姿であったとしても、必要であるというのなら甘んじて受入れることぐらいは出来る。その程度までには、自分もプライドを捨てられる。 だが愚鈍な犬に成り下がる覚悟を後押しするだけの確信を、キリーはまだこの応対の中に見つけていなかった。相手が提示しているものの詳細も分からず、またこちらが愚か者になるのを望んでいるかどうかも判然としない。 何を欲しているのか。暫し黙考して、最終的に口をついた言葉は、プライドを引き摺っていた。
「……そんなもの、説明できることかよ」 「そうだねぇ。言葉にされたほうが胡散臭い」 「何が言いたいんだ、さっきから! 巫山戯るのも大概に――」
罵声は、途中で口蓋の奥に逃げ込んだ。それは頭を振り回そうとして、後頭部に硬質のものが触れているのに気付いたからだった。こういう場面、こういう状況。突きつけられたのがどういったものか、大方の予想はつく。 「ほら、煽るなんてこんなにも簡単なのに。結局は人間なのだから。……にも関わらず、レイヴンが最強の存在だなんて。一体誰が言い出したんだろう」
「…………何の話だよ」 「ACは、この世界で何よりも強い力だ。それは理解できる。だからそれを操るレイヴンが最強の存在だとされるのも、理屈では解る。だけれどね。こんなあっさり自我を曝け出すような連中が、最強である筈がないじゃないか。それとも、最強というのはその言葉通り、唯一無二のたった一人を指すものなのかな。あの頃、ランキングという解り易い指針があったあの頃。アンゴルモアがその域に達していなかったというのなら、一体誰をそう呼べるんだろう。カマラ? 黒山羊? デュエリスト? 或いはひょっとして、そんなものは存在しないの?」
焦燥に渇いた喉には、粘度の高い唾を呑み込むだけでも少々の苦労を必要とした。この状況下で相手の語りから意識を外すのは危険だと承知しているのだが、如何せん内容までが脳に届いてこない。下唇に歯を立てて、キリーは眼球だけで辺りを探った。この硬直を好転させられるようなものは残念ながら見つからなかったが、それぐらいのことをしなければ危機に瀕した中で心の安定を保つのは難しい。肋骨の奥で響く動悸は、時間と共に確実に速度を速めている。 だがそんな胸中とは別に頭は何故かよく動く。言葉が入ってこない代わりに、それ以外への情報へと思考が流れていくのははっきりと自覚できた。銃口を押し当てられているのは首筋から10センチほど上の辺り、突き上げるようにして向けられている。相手の背は、自分よりも幾らか低いのだろう。体格を予想して、腕の位置と立ち位置を計算する。自分の置かれている状況を正確に把握し、予測と予想を確信まで加速させていけば、後は行動に移すのみだ。確かこれは、スカルボーンが何処かで話していたことを立ち聞きしたものだったような記憶がある。 相手の言葉はまだ続いていた。タイミングを見計らう。
「イレギュラーは、もう本当に存在しないの? 同じAC。同じ信念。同じ……人間。そういったものが幾らでも存在できるこの世の中で、全てを覆すだろうそれがもう何処にもいないのなら、あれを滅ぼすことはもう誰にも出来ない。ドッペルイクス。私が見つけた、世界の終焉。私達が――」
何かが、弾けた。 軽い音ではあった、が、それが何の音であるかはキリーにも即座に判別がついた。爆発音。それとほぼ同時に、銃がキリーの頭から離れる。 余りに予想外の出来事に一瞬躊躇うも、心臓を跳ね上がらせながらキリーは上半身ごと背後を振り返った。やはり誰もいない。誰もいないが……いた痕跡は残っていた。散逸した血痕と、衣服の欠片なのだろう黒い布と。
「私達が――望んだ、最悪の可能性。あんたらがあくせく働くまでもない。鴉の時代は、その可能性を以て終わりを告げる。ざまぁないね…………全部、巻き込んでいくのだとしても」
それを最後に、今度こそ気配は消えた。念入りに周囲を探しても、やはり足音一つ聞こえない。
「……ドッペルイクス? ドッペルゲンガーでなく?」
それが何を意味する単語なのか。 彼にはまだ知る由もない。
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