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いち |
・投稿者/ 叢魔
・投稿日/ 2007/02/15(Thu) 15:46:21
| 彼は形のために形を愛し、色のために色を愛するのであるから、彼はそれらをそれらのためにそして自分のためにではなく、知覚するのであるから、彼が物の色と形とを通じて現われるのを見るものは、物の内的生命である。
――ベルクソン 『笑い』
平生より静かなのは、クリスマス明けの日付故であろうか。 真四角のスポンジに載った、パスタにも似た模様のクリームにフォークを割り込ませながらメリエスは推量を当ててみた。クーロンシティ一般居住区に建つ喫茶店の2階は、この日に限って昼時にも客が集まらない。旧イージス社傘下の出版社が出す観光マップにも、この店舗は甘味の名店として掲載されているのだが、20近く並ぶ丸いテーブルとそれを囲む椅子とが散在する店内で4〜5人程度の女性達が疎らに軽食を取っているばかりの景色は、小奇麗な装飾の効果もあって逆に空虚を覚えさせる。無人のお菓子の家へ迷い込んだヘンデルとグレーテルは、丁度この様な気分であったのかもわからない。 メリエスの手にするフォークは厚みを持ったクリームの層を縦に通り、音も立てずにその下に堆積するスポンジを裂いた。その柔らかさを確かめたメリエスは、それだけで良い気味になる。バランスを崩して倒れそうになるそれを直ぐに斜めに切り崩し、割と素早い所作で口元へ導いた。 口の中でクリームが溶け出した頃、それまで陽の差していたメリエスの上体に影が触れた。 外側に面する壁の全面をガラス貼りとした店内には、常に垂直にしか降らない人工太陽光が少しだけこぼれて入る。このときメリエスは窓に対して程近い位置に腰を据えていたのだから、陽を遮る何某かは、建物の内側にしろ外側にしろガラス板に張り付く位置か、あるいは帽子の鍔(つば)の様に店舗の壁面に取り付くくらいでしか有り得ない。しかし、実の正体はそのどちらでもなければ、だからといって場違いな現象でもなかった。 メリエスに触れた影は絶え間無く、一方にばかり動いていた。それと殆ど同じ速度で、ガラスの向こう側を銀色のモノレールが通過する――何ということではない。店舗の2階とほぼ同じ高さのレール上を走行する車体が、陽を奪ったばかりに過ぎないのだ。 しばしば気になることであるが、車窓からの景色というものは瞬く間に場所を変えることもあって、変に人を“その気”にさせる力を秘めているらしい。自転に従って半永久的に動き続ける大地の上では、むしろ延々と一つの方角を目指して移動する方が、静止という状況へ限りなく近付くことができるというのが、その原因かもわからない。言うなれば、世界の中心と呼ばれる現象へ、ずっと近寄った気になれるのである。 緩やかに弛むメリエスの目尻に沿う形で、スッと砂色の瞳が動き、通過する車体の影を追った。言わずもがな、走馬灯の如く去って行くそれは、瞬く間にガラス窓からの死角へと移って見えなくなる。メリエスの視線もそこに尽きた。 ガラス越しの景観は、再び、長い静止に凝結する。こうなると、動いて見えるものといえば、遥か眼下の道路を通る人や車の類で、実にちっぽけな上に不自然な所作を取る印象物に限られてしまう。表情こそ不変にあれど、メリエスの機嫌は俄かに、微小に傾げられる。 この店舗について、提供される菓子の美味をさて置いてもメリエスがしばしば不服に思うに至る部分は、何某を差し置いたとして景観にある。移動するモノレールであればこそ外に向けての景色には事欠かないものだが、当の喫茶店の立地は、趣を感ずるに足る情景に恵まれていない。窓を通して見えるものは、奥行きの乏しい1〜2本のビルが生えている様子ぐらいで、そのビルにしても、壁面に貼り付く窓ガラスは何ら飾り気も無い平凡なものだから、薄汚れたサッシしか見えてこない。壁一面に引き伸ばされたコンクリートブロックの写真を目の前で見せ付けられる具合にも似ている。 景観に期待を保てなくなったメリエスは、視線を食べかけのマロンケーキに返した。メリエスにとっては菓子の甘味にしか期待の無い店であるので、舌を満足させられること以外には、元より大きな希望を寄せてはいない。であれば、今に現実を悲観したとして、何某か叶うものがある筈も無いと考えたのである。 左手に掴みっぱなしであったフォークを持ち上げ、メリエスは再びスポンジを切り始める。それは丁度、先と同じ具合に無抵抗な裂け方を見せた。 この塩梅(あんばい)で平穏が続けば、メリエスは2口目の甘味を微笑ましく迎えることが出来たに違いなかったであろう。しかし現実には、ここに不慮が起ったのだ。 前兆の無い急変にこそ人の肝は潰されてしまう。メリエスが身体中を強張らせた理由も、騒音の甲高さや大きさ故ではなく、その唐突さ故であった。そこへハスキーな悲鳴が続く。 その頃には、平生から重たそうに弛む瞼をメリエスは覚えず持ち上げていた。視線を一回りさせれば、声の持ち主は、窓の反対側の壁伝いに添えられた階段に見つけることが出来た。正体は、メリエスとも齢の間を感じさせない、赤子を抱えた女中である。 女中は、今しがた登ったであろう階段を見下ろして全身を凍りつかせていた。周囲の客や店員の視線もまた、女中以上にその先へ集まるが、悉く彼らの所作はそこに尽き、それ以外は何某も行おうとはしない。好奇心は否定しないのに、他人の疝気を頭痛に病むのは御免被りたいという手合いである。メリエスもまたそれに属して、女中を見据えるばかりであった。 不意に別の騒音がメリエスの足下から湧き上がった。即ち、店舗の1階からである。これは女中個人の悲鳴よりも耳を苛むもので、幾種もの声音による様々の奇声と、呟きと物音とを掻き集めたものであり、それを“百獣を一斉に締め上げた様な気味のどよめき”と表したとして、言い過ぎた感は無い。 初めこそ悲鳴に制されて何某を言いたいのかわからぬ女中であったが、周囲の声々がむしろ俄かに冷静を誘ったのか、その時点からようやっと言葉らしいものを吐き出すようになっていた。聞き耳を立てるメリエスには、彼女の発する「あなた、あなた」という声ばかりが、蓄音機で再生された様に繰り返し聞こえた。 違うもの無く、そう聞こえた刹那である。メリエスの鼻腔が、砂糖菓子の甘い匂いに混じった腐敗臭を嗅ぎ分けていた。
一部区画に設けられた自然公園や環境開発振興区を除いた場合、一般居住区内に生える街路樹は、その悉くが模倣物である。樹皮と質感の似た繊維を材料とし精密に造形されたそれらは、しかし実物の樹木を一般人が目にする機会が希少となった昨今では、何某か不可思議な気味も無く樹の顔をしてそこに在る。 疑わしきは、そこに樹が在ることそれ自体の意味を考えるという作業が、人々に忘れられているのではないかという部分にこそ在る。クーロンシティドーム内部の空調は、監督局の責任の下で人間社会主体での快適さを保つよう調整され続けているし、上下左右に統一規格の区画が連続する構造からも、地盤という概念を生活空間内の設計に挿入する理由は自然と無い。即ち、かつての地上における樹木というシステムは、現代では悉く機械部品に置換されているのである(それだとて、やはり植物が実現する生命的治癒作用は、人間の手では容易に模倣し得るものではないから、一部地表の緑化実験地域やドーム内の研究施設、博物館等では実物の保存や繁殖が行われている)。 根本の問題を言えば、それはドーム内の慢性的水資源不足に他ならない。大破壊以前の正常な――厳密には、正常であったと言われる――地球環境の循環には、雨という気象があった。しかし大破壊によって人類の水源がチンハイ湖に湛えられたそれに限定された現代では、ドーム内での生活が充分に一般化してからの時間経過にも拘わらず、未だ人々の営みに雨雲を添えることはできないでいるのだ。 言うまでもないにしろ、降水が全く期待できないという気候に加えて、気孔から発散される水蒸気によって湿度に変化が生まれた結果、空調管理に支障をきたす可能性を考慮すれば、ドーム内での植林は愚策と結論が出る。それは丁度、草の生えない土地で牧場を開く場合と言い換えて良い。 故に、監督局自らが直接管理を行う自然公園か、居住者達が自治的に森林を設けることを希望した環境開発振興区以外には、農業プラントと研究施設、個人的趣向によって作られた擬似環境区でしか、現在はドーム内で植物の実体を臨むことはできない。メリエスが今しがた擦れ違った街路樹も、材質の9割以上を無機物質が占めている似非樹木である。 旧来の都市化の進んだ時代における中華民国の街並みを模した大通りの中に在って、その模倣物は車道と、それよりも一段高く作られた歩道との境界を為す形で立っていた。擬似日光の角度が常時垂直でしかないため、木陰と呼ばれる涼みの域はその足下にしか成立されず、ひょっとした所では樹に背を預けて休憩している人というのも目に入る。12月の末にこの様な景色を臨めるのも、季節の無いドーム内ならではのことである。 往来する人々の他にも、自転車だとかベビーカーだとかを避けながら、メリエスは街道に沿って歩みを進めていた。ゆったりとした歩調は生来のもので、しばしば急務を控えていてもこの按配が継がれるほど、それは彼女の無意識下に根差しているものであった。 クリスマスを昨日に置き去った街の街路樹からは、既にイルミネーションが剥ぎ取られていた。スノーマンのダンスも家電量販店のテレビ画面から失せ、代わりに決算セールの赤いラベルが、定価を覆い隠し始めている。機械的な管理によって擬似環境を常時維持されているシティドーム内は、その性質上生活者達の時間感覚が疎くなりがちなため、サマータイムやクリスマス等、定日に催されるイベントはそれを補完すべく、過剰な演出によってその到来を告知される一方、同様に終幕も徹底されるのだ。 唐突にメリエスは、足下から変な君の音を聞いた。アスファルトを踏んでいては決して生まれない、薄っぺらな響きを備えた音である。歩みを一度終えて視界を下ろしてみると、仰々しい字体による“X’mas”の表記が、一先ず印象に付く。 メリエスの靴とアスファルトとに挟まれたチラシが、その身に奇妙な皺を刻まれながらも健気にケーキの値引きを訴えかけている。既に幾度も、靴裏の汚れを押し付けられたのであろう。何種にも見える足跡がそこに埃を被せ、その度に反対側からゴツゴツとした小石の形をなぞらされた工程が察せられる。針の先程度の穴は一つ、二つばかりではなかった。 失礼にも、メリエスは身体を折って草臥(くたび)れた紙片の端を摘み上げると、それを胸元の高さまで運びながら記載内容に目を走らせる。一目だけで、先ずその広告を出したとされる店舗の看板に面識があることがわかった。甘味を好むメリエスにとっては、忘れ難い美味を提供してみせた喫茶店のそれである。 偶然を否定することを潔しとする思想はあるものの、必然を否定するそれの例は少ない。しかし広告から放たれたメリエスの視線が、紙面に印刷されたものと同じ看板を丁度街道の先に捕らえたのは、必然であっただろうか。或いは、偶然であっただろうか。 メリエスは暫し、読み方を知らないままでいる漢語表記の看板を見据えていたが、やがて、ふと変な気味を覚えて肩口を振り返った。特別な印象など無い、見つけても忘れそうなほど有り触れた服飾店のショーウィンドウに、自分の姿が透き通って映っている。 その厚いガラスを挟んで立つマネキン人形が、さながら予めからメリエスを待ち受けていたかの様に、色の無い瞳で彼女を見つめ返してきた。
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