『やってくれる』仁王はそう思った。 この大会で、チェンジコート以外で味方にアドバイスになるような声援を送るのは 原則禁止。 しかし、鳳に声援を送ったのは海堂のチームの滝だ。
上手い具合にルール違反にはなっていない。 アレ以上ゲームを妨げてたら、さすがに滝は追い出されただろう。 しかし少なくとも、鳳のチームが咎められる事はない。
おそらく、本人はそんな事まで考えて叫んだ訳ではないのだろうが。
しかし、そんな彼の行動が、仁王にとっては大誤算だ。 せっかく崩れかけてた鳳の精神、滝のせいで、彼は持ち直してしまった。
そして『パトリオットリターン』という自信に繋がるものを、彼は手に入れてしま った。
『15−30!』
―――随分…厄介なもんを出してくれたのぅ……
別に、パトリオットリターンが格別凄い打球という訳じゃない。 スカッドサーブの方が、よっぽど脅威だ。
問題はそこじゃない。鳳はパワーショットを普通に返せる技を身につけてしまった 訳だ。 普通にラリーを続けられてしまっては、どう転ぶか分からない。
要は、ほぼ互角という訳だ。
―――いや…それすら怪しい……
パトリオットリターン。先ほども述べたが、格段に凄い打球ではない。 しかし、トップスピンのかかった、重いロブ。 もちろん、かなり高く跳ねるに決まっている。
その打球を返せない訳じゃない。返せる。返せる……が――― どうしても打ち返す際の体勢は、窮屈になってしまう。 結果、彼等の持ち味のパワーショットは、威力が衰えてしまう。
遠くから見てるギャラリーには分からないだろう。 しかし、この試合中ずっと近くで、見て、うけてきた―――南と鳳にしてみれば、 その差は歴然だった。
「ぬ……どりゃ!」
―――! …これは……
河村のパワーショット、見ただけで南には分かった。 『これなら返せる』と。
南のボレーが、綺麗に決まった。
『15−40!』
衰えてるとはいえ、並みのプレーヤーにとっては充分驚異的な打球には違いない。 しかし、彼等はこの試合で、河村達のパワーショットに少し慣れてしまった。 慣れてしまった後の衰えた打球、まだ腕に多少痛みを感じてる南でさえも、何とか 返せるものとなっていたのだ。
ダッシュ波動球で返そうにも、余計返し辛くなる。 ライジングでパワーショットが打てるほど、彼等は器用ではなかった。 もちろん、ドライブボレーでパワーショット、なんてことも出来ない。
当面、この状況を如何にかする策は、二人には思い浮かばなかった。
『ゲーム南・鳳! 4−4!』
考えてるうちに、鳳にパトリオットリターンを決められてしまった。 ロブなのに、重く速い打球。パトリオットとはよく言ったものだ。
南が攻め方を考え、鳳がそれに従いパトリオットを打つ。 そんな二人の戦い方に、河村と石田は手も足も出なく、
『ゲーム南・鳳! 5−4!』
いつしか、後1ゲーム取られたら終わりというとこまで迫っていた。
「鳳! まさかあんなのを隠してたとはな! やってくれるぜ!」
「南さんのサインのお陰ですよ。アレが上手くいくのも」
「まぁ…何はともあれ、奴らには結構苦しめられたが、このゲームで決めてやろう ぜ!」
「はい!」
つい先ほどまで仁王の策にやられ、どん底に落とされていた二人だった。 しかし、そんな暗い雰囲気はもう一切感じられず、二人は清々しい顔をしていた。
石田がサーブを放つ、南はクロスに返球した。 そこに容赦なく、石田は波動球を再びクロスにぶち込む。
―――俺を狙ってくるのは読めてるんだよ!
鳳は南の前に割り込み、パトリオットリターンを打った。
『0−15!』
この打球は二人のちょうど間を突き抜けていった。(二人はまだ、W後衛の状態) その後も容赦なく、鳳はパトリオットリターンを打ち続ける。 それを返そうと、今度は南がコースをついたボレーを叩き込んでくる。
『0−40! マッチポイント南・鳳!』
遂に、鳳と南は勝利に王手をかけた。 二人はコート中央でハイタッチをした。
「よし! あと1ポイントだ! 決めようぜ!」
「……あの二人、こっちのマッチポイントだっていうのに、何つーか…表情に焦り が感じられませんね……」
鳳は何か話し合ってる河村と石田を見て言った。
「…なぁに、心配する事無い。あんなのただのハッタリさ。そうやって俺らを不安 にさせて、ミスを誘おうって魂胆だ。仁王の考えそうな事だよ」
「ハッタリ……そう…ですよね…」
特に構わず、二人は定位置について構えた。
石田から放たれる重いサーブ。 鳳は両手バックで河村の方に返した。 河村は何ら変哲のない、いつも通りの大きいテイクバック。 そして同じ様に、何ら変わりのない波動球が放たれた。
―――いつも通りだ…やはりハッタリか! 貰った!
「はぁッ!」
パトリオットリターンが空中で弧を描く。 その打球は、河村の真後ろに落ちた。二人は、全く動けなかった。
―――……勝ったッ!
鳳、南、両者が同時にそう思った。 南が鳳に駆け寄ろうとしたその瞬間、審判はけたたましい声でコールした。
『アウト! 15−40!』
「!」
考えていたのとは違っていた審判のコールに、二人の顔は強張った。 今まで、狂いなく入っていたパトリオットリターンが外れるなど、考えてもみなか ったのだ。 南の頭に、一つの可能性が過ぎった。
「鳳! まさかまた腕が………」
「い…いえ! 腕は大丈夫です。今度こそ断言出来ます! フォームも崩れてなか ったと思います…」
「…じゃあ、たまたまだろう。気にするな。最後だからちょっと気が緩んだんだろ う」
気持ちを切り替え、今度こそ決める、と意気込み、二人は再び構えた。
石田のパワーショットが、鳳の方に打たれた。 バウンド地点に近付き、パトリオットリターンの構えを取る。 そして、ボールを捉えた。
―――よし! この感じだ! 今度は外れない!
そのまま鳳はラケットを振り抜いた。 素早く弧を描いたボールは、鋭い音をたてバウンドした。
『アウト! 30−40!』
―――! また…?
南と鳳は、少しコート中央で会話を始めた。
「もう一度聞くぞ。本当に腕は大丈夫なんだな?」
「はい! 腕は何ともありません。打った時も、何の違和感も……」
「…しかし、偶然としては片付けがたいな。ついさっき、似たような事をやられた のだからな」
「また…仁王さんが……?」
「くそッ……! 何だってんだ!」
「パトリオットで攻めるのを…止めてみましょうか?」
「いや、それはダメだ。それこそ奴等の思う壺…。とりあえず、同じ様にもう一度 打ってみてくれ」
今度こそ、偶然である事を二人は願った。 しかし、やはり鳳の打ったパトリオットリターンは再びベースラインの少し後ろに 落ちた。
『40−40! ドゥース!』
偶然である訳がなかった。二度ある事は三度あるなどと言うが、そんな言葉では片 付けられなかった。 鳳の腕の調子が悪い、フォームが変わってる、向こうは鋭いスライスを打ってきて いる。 色んな可能性を南は考えてみたが、どれも否定された。
鳳は自分で腕もフォームも大丈夫だと言っているし、石田と河村の打っている打球 はどう見てもスライスじゃない。
―――分からない……
悩んでいるうちに、鳳は既にパトリオットを打とうとしていた。
―――あれ?
ベースラインから鳳が打つところを見て、南は何か違和感を感じた。 もちろん、フォームとかそんなのじゃない。 鳳があれだけ自信を持って言えるのも頷ける。 フォームは驚くほど綺麗で、彼が最初にパトリオットを打った時のフォームと全然 変わっていない。
『アウト! アドバンテージサーバー!』
この瞬間、南は違和感の正体に気付いた。 それと同時に、今までの連続アウトの理由も。
すぐに鳳に駆け寄った。
「り…理由が分かったんですか! 一体それは…」
「…浅くなっていたんだ」
「…え?」
「奴らが打ってきていた打球は、だんだんと、ほんの少しずつ『浅くなっていって た』んだ」
「…あ、あああああ!」
鳳もようやくその理由に気付くことができた。
鳳の打つ『パトリオットリターン』 重いトップスピンロブというのがウリだ。 しかし、それはこの試合でようやくモノにできたもの。 今までは、打ってもアウトになるばかりだった。
滝の言葉に賭け、何とか成功できた。 その最初の成功の感覚を、忘れてはいけない。 鳳はそれを胸に刻み、ずっとフォームを崩さないよう意識して打ってきた。 だから、打球は全く違わぬ軌道を描き、コートに落ちていた。
仁王は、それに着目した。
そして、9ゲーム目のチェンジコートの際だ。 彼は、一縷の望みに賭けて、河村と石田にこう言った。
『気付かれない程度に、打球を少しずつ浅くしていけ』
今までは、自分でうまくいくと確信できる策しか託してこなかった。 しかし、勝敗を左右する第10ゲーム。何もしないまま負かす訳にはいかなかっ た。
つまり、仁王はこう考えたのだ。 鳳のパトリオットリターンがもし常にベースラインを捉えていたら。 それでもし、数cmでも、こちらが打球を浅くしたら。 数cm、鳳の打球はベースラインの奥に落ちる事になる。つまり、アウト。
フォームを全く崩さない事を、仁王は仇にしてやろうと思ったのだ。
さすがに、マッチポイントまで追い詰められた時は焦った。 しかし、河村と石田は仁王を信じ、頑なに打球を少しずつ浅くしていった。
結果、仁王の予想以上に策はうまくはまった。
「…ねぇ、南、打球が浅くなっていってる事に気付いたみたいだよ?」
南と鳳のやり取りをずっと眺めていた不二は仁王に語りかけた。 もちろん、仁王もそんな事にはとっくに気がついている。
「ああ…しかし、遅すぎたな。すぐにフォームを変えろなんて言われても、出来る 訳ない。少なくともこのゲームは貰った」
『ゲーム石田・河村! 5−5!』
言うとおりだった。
「次のゲーム、鳳のサーブでまず取られる。しかしその次はまだ、フォームが調整 出来てないパトリオットのミスが続き、こちらが取る」
仁王の考え通りにいくなら、6−6、タイブレークにも連れ込むことになる。
「しかし、そのゲームで鳳はパトリオットのコントロールが出来るようになるだろ う…。つまり勝負はタイブレーク。そっからは何の考えもない。あいつら自身の、 底力に賭ける」
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