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537/ (無題)
・投稿者/ 林浩司
・投稿日/ 2006/09/03(Sun) 21:53:01
・IP/ 61.192.67.59

    お寺の修行とはどんなものなのでしょうか ?
    そして、それにどんな意味があるのか教えてください。

    一休さんとかでみるお寺の修行というのは、座禅を組んだり、巻き割をしたり、掃除をしたり、お経を唱えたりみたいですが、どんな意味ががるのでしょうか ? 何かの本では右脳教育みたいなことが書いておりました。
    お寺の修行は日常では出来ません。それで、もし出来るのならば、「反復」と言っておりました。それを言った人は、みなさまもご存知と思いますが、三浦道明と言うお坊さんです。この反復は、滝で煩悩を払うような効果があるかもしれません。
    比叡山の修行で千日回峰行といものがあるらしいですが、千日で4万Kmくらい歩く荒行で50年にひとりほどやり遂げる者がいるそうです。これも、煩悩を取り払う「反復」といものかもしれません。ボクは一時期毎日15Kmくらい歩いて実戦したことがありました。
    ボクはお坊さんになりたいとまでは思いませんが、いつか悟りを開いてみたいと思っています。お寺の修行はどんなものがあり、その意味を教えてください。



536/ 法華経・翻訳家・鳩摩羅什の野望
・投稿者/ asifsound
・投稿日/ 2006/09/03(Sun) 21:12:21
・URL/ http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/online/howto.htm#meow
・IP/ 220.102.228.13

    『妙法蓮華経』の文字の中に、
    「師子吼」という文字が、封印されていた、だって。

    証明:
    妙=meow[ミャーオ]=猫属の吼える鳴き声=吼
    蓮=[レン]=[レオン]=Leo-n=レオ/ライオン=師子---中国発音は、[リエン]
    (中国語だと、蓮=lian=[リエン]であり、[レオン]に、より近い、です。)

    鳩摩羅什は、竺法の翻訳した『正法華経』から「正」を取り、「妙」と「蓮」
    を挿入して、『妙法蓮華経』という、名前にした。
    つまり、「師子吼」の意味を隠し備え持つ名前を作った。

    ( 『妙法蓮華経』と発音すると、『吼法師子華経』と発音していることにもなる )
    ・『南無妙法蓮華経』は、[ナム・ミャーオ ホー・レオン ゲ・キョウ] と発音する。
    (『妙法蓮華経』の中国語は、miao4fa3 lian2hua1 jing1[ミァオ・ファ リエン・フウア チン])

    これは、1500年前の法華経熟知者である、鳩摩羅什さんの、秘密事項、ウィット、であった。

    詳細は、発見者F.IMAIさんの下記ページを見て下さい。

    http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/online/howto.htm#meow

    ----
    もし、中国関係の方がいらしたら、本仮説の真偽を中国本土の人に聞いて欲しい、です。



394/ 教えてください
・投稿者/ シマシマ
・投稿日/ 2005/05/23(Mon) 21:45:55
・IP/ 61.207.247.249

    仏教で自然のあるがままでよいと言うような意味の言葉は無かったでしょうか?



447/ ないと思います。
・投稿者/ スターダスト
・投稿日/ 2006/03/17(Fri) 20:38:22
・IP/ 220.97.103.123

    >>仏教で自然のあるがままでよいと言うような意味の言葉は無かったでしょうか?

    ないと思いますよ。もし、自然のあるがままでよいなら、仏教の修行はいりませんからね。



437/ (無題)
・投稿者/ 仏教修業者
・投稿日/ 2006/03/14(Tue) 12:06:42
・IP/ 192.51.44.50

    仏教は釈尊の教えです。この基本に立ち返り、仏典を読んでみました。仏典と
    はお経のことですが、お経というと線香臭くて難しい呪文のようで、凡人には
    近寄りがたい書物と思ってました。しかし、読んでみると、こんなおもしろい
    書物は、他に見当たりません。もちろん漢訳の経典そのまま読める訳がありま
    せんので、初心者向けの仏典の解説書を読んだにすぎません。

    仏典の中で、一番印象に残ったのは譬喩経です。譬喩経の中の話と感想、及び
    代表的な大乗仏典の簡単なコメントを書いて見ました。

    1.仏説譬喩経の中の話

    一人の旅人が山道を歩いていました。後ろに異様な物音がするので振り返って
    みると、岩陰から一頭の狂象が襲いかかってきました。「こりぁ、たいへん」
    と必死に走って逃げているうちに古井戸を見つけました。傍らの樹に巻きつい
    ている藤蔓が古井戸中に伸びているました。「これは天の恵み、ありがたい」
    と、その藤蔓を伝わって古井戸の中腹に降り、一瞬の差で狂象の餌食にならな
    くてすみました。「ああ助かったと」と思った途端、藤蔓を握っている手が、
    体の重みに耐えきれなくなっているのに気付きました。「降りよう」と思って
    下を見ると、涸れかけた水の中に一匹の大蛇がどくろを巻き、口をあけて旅人
    が降りてくるのを待っています。「こりゃいかん」と近くに足場を探すと、古
    井戸の壁の四隅には四匹の毒蛇が、近寄れば噛み付かんぞとばかり、赤い舌を
    ペロペロ出しています。ゾッとして上を見上げると、命の綱と頼む藤蔓を黒と
    白の二匹のネズミがガリガリとがじっています。あまりの恐ろしさに放心した
    ようになって、旅人は口を開けたまま古井戸の上の空を見上げました。そのと
    き、口の中にポタリと一滴の露が落ちてきました。「甘い!」彼は思わず叫び
    ました。それは、古井戸の傍らの樹にある蜜蜂の巣から落ちてきた蜜でした。
    旅人は、狂象、毒蛇、ネズミなどの恐怖をすっかり忘れてしまい、口を開け、
    思いをこらして次の蜜が落ちてくるのを待ちました。

    [感想]
    とてもよくできた物語ですね。狂象、大蛇、四匹の毒蛇、白と黒のネズミは、
    それぞれ人々に課せられた苦を表していると思います。蜜蜂は人が持っている
    五欲のことなのでしょう。人には五欲があるから、苦に耐えて生きていけるの
    ではないでしょうか?しかし、誰もが直面しているこの絶望の苦の現実に譬喩
    経はどう対処せよといっているのでしょうか?

    『座禅用心記』
    諸仏一大事因縁のために世に出現す。直に衆生をして仏の知見に開示悟入せし
    めんとなり、而して寂静無漏の妙術あり、是を禅という.....(螢山禅師)

    2.大乗経典のコメント

    (1)般若心経
    最も有名なお経です。何度も読み繰り返し聴きました。今では自然に口に出る
    ようになりました。智慧によって彼岸に渡る、智慧の完成のお経です。
    「空」の思想を徹底し説いています。「五蘊皆空」に続き、法も「空」と説き
    ます。諸法空相です。仏教思想の原点になる非常に重要なお経だと思います。

    (2)金剛般若経
    スプーティ(須菩提)を相手に釈尊が「空思想の実践」の心がけを教えます。
    「空」という言葉を陽に使っていませんが、「空」の境地の教えが、以下のよ
    うに説かれるます。「それでは、どのように説いて聞かせるのであろうか、説
    いて聞かせないようにすればいいのだ。それだからこそ<説いて聞かせる。とい
    うのだ。」何か矛盾しているようで戸惑ってしまいます。この経典の中にある
    「応無処住而生其心」は有名です。禅宗を確立された六祖、慧能禅師が、薪木
    を町に売りにいったときに、偶然、この言葉を耳にして心を打たれて、出家し
    て禅僧になったそうです。

    (3) 阿闍世王経
    インドに阿闍世王という王がいました。彼は父を殺して王位についたため、後
    悔の念に苦しみ仏に救いを求めました。このお経の主役は、文殊菩薩です。阿
    難が聞き役です。文殊菩薩が化仏を出したり、神通力を使ったりして劇的な展
    開で空の思想が説かれます。文殊菩薩の態度がデカイなと思いながら読んでい
    たら、前世で釈尊に菩提心を起こさせてくれた師匠だったのです。最終的には
    、釈尊が阿闍世王の成仏を予言して終わるのですが、釈尊は脇役で、文殊菩薩
    の教えの偉大さが説かれています。

    (4)維摩経
    この経典は維摩詰が主役です。彼はインドの大富豪で博学な人格者です。ある
    とき、維摩詰が病気になったため、釈尊は弟子に見舞いを命じます。ところが
    、みんなしり込みをします。過去に維摩詰にさんざんやり込められたためです。
    菩薩も同様です。結局は、文殊菩薩に白羽の矢が立ち、皆が従って見舞に行く
    のですが、見舞いの場でも、維摩の説法が光ります。有名な不二の法門の説法
    で維摩詰は、無言の回答を示すのです。このお経では、シャリプトラ(舎利佛)
    が散々こけにされています。

    (5)勝鬘経
    王女勝鬘夫人の説法を釈尊が承認するという経典です。真実の教えとして人間
    は、すべて平等に成仏する事ができると説きます。「一乗思想」を唱え、また
    一切の衆生は煩悩にまとわれているが、本性は清浄無垢で如来の心を備えてい
    と言い、身・命・財を捨てることに仏の教えがあると説きます。菩薩になるた
    め「十大受三大願」を立てるなど、無量寿経と似ている点があります。聖徳太
    子の作とされる三経義疏の一つとして、勝鬘経義疏等の注釈書も多いそうです。

    (6)法華経
    「経王」とも称され、大乗経典の中で特に重要なものとされています。
    日蓮宗信徒の「南無妙法蓮華経」はよく耳にしますよね。「法華経」は、仏教
    の種々の教説はみなそれぞれ、存在意義があることを力強く主張します。「シ
    ャ門」と「本門」に分かれています。シャ門では、三乗(声聞乗、縁覚乗、菩
    薩乗)は一乗に帰すると説きます。
    十如是を説く方便品第二が有名ですね。本門では、長者窮子の喩譬などで、仏
    の偉大な慈悲を強調します。「如来寿量品第十六」が最も重要と言われます。
    釈尊は自らの由来を明かします。百千万億名那由他、阿曽祇劫や無量阿曽阿祇
    劫などの想像を絶する膨大な数字がでてきます。この間、方便を尽くして衆生
    救済を行います。こうして私は、成仏してからこのかた久遠なのだと説きます。

    (7)観音経
    観音様のお経です。「法華経」の「観世音菩薩普門品第二十五」を、独立の経
    典として扱ったものです。もろもろのお経の中で、一番広く読まれている経典
    だそうです。私も何度か聴いたことがあります。観音様は七難から救ってくだ
    さるそうです。この七難とは、水、火、羅刹、刀杖、鬼、枷鎖、怨賊です。一
    心に観世音菩薩の名号を称えましょう。「南無観世音菩薩」と称えるのです。
    そうするとその災から逃れられるのです。このあと、今度は内面の話に入り、
    三十三身を示して説法されています。

    (8) 大無量寿経
    「浄土思想」は、今を末世であると位置付け、現世が汚濁に満ちた穢土である
    と否定して、彼岸にある阿弥陀仏と極楽浄土のすばらしさを伝えて、そこに衆
    生を導こうとしたのだと思います。大無量寿経は、過去世に宝蔵比丘という修
    行者のころ「衆生済度の誓願」、五濁悪世に苦しむ衆生を救おうという誓いで
    ある「四十八願」をたてました。
    この願すべてが達成できなければ、正覚をとらない、即ち仏にはならないと誓
    い、五劫もの間修行して仏になり、阿弥陀仏(無量寿仏、無量光仏)と名乗り
    、極楽浄土をつくられました。四十八願の内容は省略しますが、この中の第十
    八願(自分を念ずるものを必ずこの浄土に生まれさせる)は有名ですよね。

    (9) 阿弥陀経
    阿弥陀仏の極楽浄土を、当時のインドの人々の感覚でとても素晴らしいとされ
    る世界に描いたのが「阿弥陀経」です。「阿弥陀経」は何度か聴いたことがあ
    りますが、ほれぼれするようなきれいなお経です。

    (10)観無量寿経
    本仏典はサスンスクリット原典がないそうです。おそらく、4〜5世紀頃中央ア
    ジアで成立したのではないかといわれています。「観」とは見るという意味で
    、観無量寿とは阿弥陀仏や西方浄土を観想するところから名付けられたもので
    す。内容は、釈尊が霊鷲山にいたときのこと、韋堤希夫人が親子の争いに巻き
    込まれ、そうした争いのない平和な世界に生まれるために釈尊に相談するとこ
    ろからはじまります。釈尊はこの経典のなかで、極楽浄土に往生するための16
    の観想法を説き明かしたのです。

    3.その他
    仏典の解説は中村元先生を本を中心に、何冊か読みましたが、初心者向けには
    以下がお勧めです。仏典に興味がある方は読んでみてはいかがでしょうか。

    「仏典を読むシリーズ全4巻」中村元

    仏典を読むシリーズは中村元先生がNHKラジオ放送で行われた二十六回にわた
    る連続講義「こころを読む/仏典」を活字化したものです。
    当書の「はじめに」には以下のよう書かれています。多数の仏典のうちで、も
    っとも古いとされる『スッタニパータ」から、代表的な大乗経典である『般若
    心経』『法華経』『浄土三部経』さらに密教経典『理趣経』にいたるまで、こ
    れほどひろくこれほどまたわかりやすいい経典の解説は、ほかには例がありま
    せん。


    以上




438/ Re[1]: 「仏典を読む」Titleを入れ忘れました
・投稿者/ 仏教修業者
・投稿日/ 2006/03/14(Tue) 12:12:09
・IP/ 192.51.44.49

    管理人様

    Titleを入れ忘れました。お手数ですが「仏典を読む」と入れていただけないでしょうか。

    仏教修業者

445/ Re[1]: 譬喩経似ついての補足
・投稿者/ 仏教修業者
・投稿日/ 2006/03/17(Fri) 16:02:40
・IP/ 192.51.44.41

    譬喩経は大乗経典ではなかったと思います。「法句譬喩経」とも呼ばれ、いくつかの物語が説かれていました。この物語は、お釈迦様の目から観た人間の生きざまを説いたものだと思います。
    私は金曜日の勤務が終わるとホッとしますが、考えてみれば余生が短くなっているのです。目先のことだけしか考えない、これが私の常なのです。四法印の一切皆苦は、四苦八苦は凡夫の思いどおりにならないのに、思いどおりにしようとするから苦しむのだと説きます。自分自身の人生を振り返ってみると、物心がついてから現在まで、僅かに落ちてくるささやかな"蜜の甘さ"に、未来の至福の世界を心に描いて生きてきただけです。
    先の感想も書いたよう、「誰もが直面しているこの絶望の苦の現実に譬喩経はどう対処せよ」といっていません。「諸法実相なので、現実をありのまま受け入れろ」といっているのだと思います。

    -------以下参考----------

    【解説の概略】

    ●山道(荒野)  ........迷いの世界
    ●狂象(象)   ........無常
    ●古井戸     ........生死の岸
    ●藤蔓(木の根) ........生命
    ●大蛇      ........死
    ●四匹の毒蛇  ........人間を構成する四つの構成要素(地・水・火・風)
    ●二匹のネズミ ........昼・夜
    ●(野火)    ........(老・病)
    ●蜜       ........五つの感覚器官(眼、鼻、耳、舌、身)による悦楽


    旅人とは私たち自身です。老・病・死・無常に苦しみ、絶望的現状に直面ながらも、蜂の巣から落ちてきた密の甘さに心を奪われているのが、私たちの在り方です。私たちは、老、病、死を避けることができません。無常もまた然りです。白いネズミは"昼"、黒いネズミは"夜"で、交互に出てきては命の根を齧ては去っていきます。いつか必ず切れてしまうのです。

446/ 阿含経は?
・投稿者/ スターダスト
・投稿日/ 2006/03/17(Fri) 17:37:01
・IP/ 61.112.149.20

    私は仏教の中で一番大事なお経は『阿含経』だと思います。
    なぜなら仏教で最も重要な『十二因縁』が説かれているからです。
    一切の仏典は阿含経から発しているのではないでしょうか。



400/ 四諦について
・投稿者/ 嬰産
・投稿日/ 2005/07/27(Wed) 00:24:49
・IP/ 220.254.0.4

    こんにちわ。意味もわからず、「仏教の思想2・存在の分析」を
    読んでいるのですが、四諦の九十八煩悩の断惑の関係がわかりません。。。

    たとえば、有身見は見苦所断ですが、なぜそこで断じれるのでしょうか?
    また、三界の欲界で断じたのにまた、上界で断じなければならないのでしょうか?

    有身見−有為のモノにたいしてわがもの、われという観念をいだくこと
    苦諦−世は苦であるという真理

    見当はずれな質問かもしれませんが、よろしくおねがいします。




407/ 九十八随眠
・投稿者/ 空殻
・投稿日/ 2005/10/18(Tue) 22:45:49
・IP/ 219.102.17.216

    嬰産さま、はじめまして。
    ご投稿ありがとうございます。


    >四諦の九十八煩悩の断惑の関係がわかりません。。。

    九十八随眠というのは、アーガマに散見する多くの煩悩群のうち 七随眠(貪・瞋・見・疑・慢・有貪・無明) だけをピックアップして 貪 と 有貪 を同一視して 六随眠 にまとめ、更に 見 を五分割して 十随眠 を形成し、それらを欲界・色界・無色界の 三界 のそれぞれの精神的階梯に当てはめて 五部(見所断を四諦のそれぞれで分割したものと修所断) で括ることによって、

    (1) 八十八の見所断(「ダルシャナ=四諦のそれぞれを明らかに見ること」によって断じられる理知的な煩悩)
    (2) 十の修所断(三昧を繰り返すことによって断じられる情・意的な煩悩)

    に分析し展開したとされる説一切有部特有の理論です。

    つまり、四諦と九十八見随眠との関係は、
    「四諦を理性的に学んで観知することによって見所断を断ずることができる」
    ということです。



    >たとえば、有身見は見苦所断ですが、なぜそこで断じれるのでしょうか?

    同書によると、 有身見 と 辺執見(へんじっけん) は「種々のダルマの種々の因果関係の結果」を苦であると観じない誤った観念のことで、これを仮の存在であり苦であると認識すれば断じれると説明されています。実際のところがどうであれ、これが説一切有部の認識であり主張であったということになります。


    >また、三界の欲界で断じたのにまた、上界で断じなければならないのでしょうか?

    説一切有部の論拠によればそういうことになります。

442/ 解脱
・投稿者/ スターダスト
・投稿日/ 2006/03/17(Fri) 10:39:40
・IP/ 61.214.108.212

    >>たとえば、有身見は見苦所断ですが、なぜそこで断じれるのでしょうか?
    >>また、三界の欲界で断じたのにまた、上界で断じなければならないのでしょうか?

    『有身見』とは『我は肉体なりと見ない』という意味です。つまり物質は空であるとの悟りです。この悟りによって『見苦所断』つまり一切の苦から解脱できるのです。これを完全にできれば無餘涅槃といい、三界から解脱することになり、どこの世にも再び生まれることはない。というのが阿含経の教えです。つまり苦からの解脱=輪廻からの解脱です。



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掲示板管理者:空殻
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