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ギリシャ危機、EUの危機が報じられています。これに対する私の関心の一つは、民主主義の位置づけが今後どうなっていくのかというところにあります。
昨年、EUがギリシャに対して財政支援をする代わりに徹底した緊縮財政を要求した際、当時のギリシャ首相はこれを受け入れるかどうか国民投票すると言ってEU各国から轟々たる非難を浴び、結局国民投票を撤回せざるをえませんでした。民意を直接問うのが国民投票であるならば、EUはギリシャの民主主義装置の作動を許さなかったということになります。
もちろん民主主義は平時の制度であって、非常時(戦争など)には一時的ないし部分的にストップするというのが共通了解です。しかしギリシャの財政がどんなにひどくても、政治制度である民主主義とは別次元の話だし、そもそも経済連合であるEUに各国の政治に口を出す権限はありません。したがって、ギリシャの国民投票にストップがかかったのは経済原理vs.民主主義の力関係の結果です。市場に対する慮りが民の意思表明を抑えつけたのです。
この度のギリシャの選挙で超緊縮財政に強く反対する急進左翼が躍進し、再選挙後のギリシャEU脱退の可能性も報じられていますが、この選挙結果は、昨年経済原理によって抑えつけられた民意(民主主義)の反抗です。強度は違うものの、今月のフランス大統領選挙やドイツの州議会選挙でも同様のことが起こりました。
本来、市場経済と民の生活とは強く結びついており、対立するものではないはずですが、近年の金融自由化が進んだ市場では両者が乖離してきています。市場は大地の上で民がモノやカネを売り買いする「場」ではなく、民の預かり知らぬところで資本、株、国債つまりは巨額のマネーが国境を越えて売り買いされる中空の「空間」となり、それが間接的に民の生活を支配するようになっています。
この市場の動きを正確に予測できる者はいません。為政者は、神の意思を推し量る神官のごときアナリストたちの読み(占い)に縋って政策を選びます。そうして選ばれたのが各国の緊縮財政策でした。これによって神の怒り(それは株や国債の暴落という形で現出する)に触れないで済むはずでしたが、それは民の生活を直撃し、民の怒りに触れることとなりました。
ヨーロッパ中世の神の支配に対して人間中心主義が興り、近代の民主主義へと発展していきました。現代、この民主主義を上からコントロールするものとして、マネーという神が現れ、民と対立し、世は大混乱の兆しを見せています(マネー神は人の欲望が生み出したものであるにも関わらず人にはコントロールできないという点で原子力に似ています)。日本にとっても他人事ではありません。
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