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>Josefさん:
お久しぶりです。
>ギリシャ危機、EUの危機が報じられています。これに対する私の関心の一つは、民主主義の位置づけが今後どうなっていくのかというところにあります。
>昨年、EUがギリシャに対して財政支援をする代わりに徹底した緊縮財政を要求した際、当時のギリシャ首相はこれを受け入れるかどうか国民投票すると言ってEU各国から轟々たる非難を浴び、結局国民投票を撤回せざるをえませんでした。民意を直接問うのが国民投票であるならば、EUはギリシャの民主主義装置の作動を許さなかったということになります。
この場合のEUの意思は,いったい誰の意思なんでしょうか。ドイツですか?(ダジャレではありません)
>国民投票にストップがかかったのは経済原理vs.民主主義の力関係の結果です。市場に対する慮りが民の意思表明を抑えつけたのです。
この部分に違和感があります。
市場に対する慮りを抱いたのはいったい誰なんでしょう。
EUは民主主義国家の集合体なのだから,どこかの国民の意思の集合なしには,この経済原理が支持されることはないと思います。
> 本来、市場経済と民の生活とは強く結びついており、対立するものではないはずですが、近年の金融自由化が進んだ市場では両者が乖離してきています。市場は大地の上で民がモノやカネを売り買いする「場」ではなく、民の預かり知らぬところで資本、株、国債つまりは巨額のマネーが国境を越えて売り買いされる中空の「空間」となり、それが間接的に民の生活を支配するようになっています。
本当にそうなんでしょうか。
一次産業と観光が主体のギリシャにおいては,きっとドイツの自動車と電化製品が,ギリシャ国民の生活の中心になっているのではないかと思います。EUの制度の下,自国産業の保護を行えないことが,ギリシャのバカみたいに高い失業率につながっているのではないでしょうか?
マネーがどうとかそういう問題なんでしょうか。
日本では,地方が住民のために教育費などのコストを割いても,若者は,結局就職口の多い大都市へ集結しがちですが,大都市から吸い上げた税金は,地方に分配されることで,投資しただけのリターンは一定限度地方に返されます。
しかし,EUは,各国家の関税障壁を取り払って,弱肉強食の世界を作りながら,そこで弱者となった国家に,溺れた犬は叩けとばかりに制裁をかすか,上から"善意"の施しをして,弱小国家を縛り付けているのかも。
太宰治は,人間失格で,「世間が許さない?あなたが許さないのでしょう。」と主張しましたが,Josefさんの論調は,”世間”を経済原理や,マネーの神に入れ替えているように感じました。
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