はじめまして、めいと申します。
偶然にもこちらの作品に辿り着きましたので、勝手ながら感想を。
罪を犯しているのはアンドロイドですが、現代に多発している犯罪と似ているとこ ろもあり、その点では現代人は感情をうまくコントロールできないアンドロイドの ようなものなのかな? と考えさせられました。
旧式のアンドロイドが人間である証拠として「人を殺したのがなによりも証明にな らないか」と発言するところはかなり核心を突いていますね。確かに、殺人という 行為は人間独特の行動かもしれません。 相棒に向って「笑いたい」と願っていた私が、相棒を殺したいという感情を得る事 で人間らしさを獲得し、殺すことで人間特有の「笑う」という行動を会得するとい うラストは面白かったです。
また、旧式のアンドロイドが「人は、人を殺す生き物なのさ」というところまでわ かっていながら、その先に進めていないところがまた旧式っぽくておもしろい。確 かに人間には誰にでも人を憎んだり疎んだり僻んだりする感情が備わっており、そ れが殺人に発展してくのは一種の【人間らしさ】だとは思いますが、その感情を上 手にコントロールしてこそ本物の【人間】なのではないかと。その点旧式のアンド ロイドは、理論上は【人間】なのかもしれませんが、備わった感情をコントロール できないところがまだまだアンドロイド。いわゆる機械仕掛けの存在から抜け切れ ていないからこそ、あのような発言をしているのでしょうね。
対して"私"はもっと進んだアンドロイドです。人間らしい感情を得た後、はたして それをコントロールする術まで会得できるのか? 旧式のカウンセリングにあたっ たものはみな自殺しているとの事ですが、はたして私はその先に進めるのか? なんだか多感の青少年期の若者が成長していく過程をみているようで、身近な話題 として感じられます。若者をアンドロイドに重ねるなんて少し不謹慎かもしれませ んが、思春期にいろいろな感情を胸に抱くようになった若者が、その感情との付き 合い方に苦悩し、あるいは旧式アンドロイドのような誘惑と葛藤しながら成長して いく姿をみているようです。
人間とは情緒的で多感であれば人間らしいかと言えばそうではなく、その感情と上 手に付き合えるようになってこそ、本当に【人間らしい】人間になれるのではない かと。自分も【機械仕掛け】の人間ではなく、もっと人間らしい人間になれたらい いなと思いました。
支離滅裂な文章を長々と書きまして、失礼しました。
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