WBCでは日本が素晴らしい試合をして興奮しました。するとふとアジアカップを 思い出します。それは中国の重慶で日本VSイラン戦が行われた時、中国共産党の 間違った歴史認識に踊らされて日本選手のバスを取り囲んだり、ペットボトルをぶ つけたり、試合最中には激しいブーイングが会場を覆い尽くしました。中国共産党 の求心力を高める手段として「反日侮日」に走ってしまう中国国民は、「親日」孫 文を国父に祭り上げる中国人の矛盾なのです。
日本VSオマーン戦やイラク戦での中国人の観客の声援は対日本に寄せられ、観客 の一部は反日侮日の露骨なスローガンまで叫んでいた。日本選手の国歌吹奏のとき には全員着席しておりも対日本には起立するという有様です。反日感情で熱くなり 試合中にブーイングが起きるのは仕方がないが、中国へ応援に行く日本人ファンに 物を投げつけられました。
ネット上では試合開催の前から、日本国旗を焼こうと反日侮日行動を呼びかけてい た。掲示板には「重慶人民は日本選手団に抵抗せよ、爆撃を忘れるな」「日本選手 団に歴史の写真を見せて勉強させろ」などの書き込みがなされている。勉強をして いただくなら歪曲された歴史を認識させられている中国国民なのです。
歴史の真実はこうです。日中戦争は、武漢三鎮陥落で終結しました。それは、日本 軍の戦闘態勢が終わったというわけで、日中間に和平が成立したわけではないが、 それから日本の敗戦までは、重慶政府と延安政府の抵抗運動が、外国の支援を受け る各地の政府間抗争となったことです。
日本軍は主要都市のほとんどを支配下に置き、近代的工場の労働者数は90%で、生 産額は94%に達してそこに暮らす中国人は豊でした。これに対し重慶政府の支配下 での工業生産額はわずか6%で、しかも臨時首都には約1千万人の難民が流入してい るのに、重慶側は、日本軍支配地域を「敵区」と呼んでいたのです。この状況のな か、日本政府は「東亜新秩序の建設」を発表しました。
これは「第二次近衛声明」とも称され、日本の戦争目的は東亜永遠の平和にあると し、新秩序建設に国民政府の参加を拒否しない旨を表明し、方針を打ち出している のに、重慶側はこれに同意しなかったのです。やがて国民は分裂し、汪兆銘派は重 慶を脱出し、南京政府をつくって日本と提携しました。これにより日本軍は大規模 な作戦をやめ、南京政府と協力して、治安の維持に本格的に入ったのです。
このようにして日中は平和に暮らしていたのだが、国際環境は中国を植民地にしよ うとする動きで大きく、激しく変動する。それは日本軍が天津・英仏租界での抗日 分子の一拠点の封鎖による日本と米英との関係悪化であり、ノモンハン事件による 日ソ間の緊張の高まりであり、ドイツ軍のポーランド侵攻で始まり、大東亞戦争が 勃発するのです。
これが、歴史の真実であるが、歴史問題だけでなく中国は市場経済化の加速で社会 主義に代わる新しいイデオロギーを必要とし、反日侮日を中国国民に強調している のです。共産党の腐敗と国民との貧富格差の広がりで失われた党を回復する狙いが あるのです。反日侮日の教育を受け日本が大嫌いという言葉から大学生が示す反応 は憎悪で若い中国人を洗脳している。
洗脳を示す顕著な話がある。「日本へ行き、老人子供を殺し、略奪しても、中国国 民には罪はない」「日本の政治家も官僚も、腐敗し金銭に弱い」「日本の警察も、 犯罪者を逮捕する力はなく、運悪く捕まっても、刑務所は天国。死刑もない」と本 気で思っているのです。それが重慶での試合は中国観客が反日侮日運動をスポーツ である世界のサッカーの伝統ある神聖な競技を政治問題化した罵声の飛び交う競技 場で行われたのです。
日本人観光客への暴力、日本人選手が乗るバスへの乱暴、また、中国政府に操られ ている中国メディアは共産党機関であるからとは言え、スポーツの記者会見では考 えられない「台湾問題の政治的な質問」をジーコ監督に質問しました。それに加え て、日本国歌の際の太鼓、笛や罵声による妨害はスポーツ界史上に大きな汚点を残 したのではないだろうか。サッカーにそれを持ち込むのは言語道断ではないでしょ うか。
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