農工一体とは都市の解体と農村です。都市解体は国土計画の立場から国家の計画す べき最も重要な問題ですが、急速にこれを期待する現状では、自らがこれを研究し 準備することが農村人の責務です。その農村が都市人口を収容できるか、いかにし てこれを行うべきか等につき具体的な計画を樹立しなければなりません。
諸計画を樹立し実行するに当って、基本的前提となるものは土地問題であり、合理 的な土地の再配分なくして都市の解体は不可能です。農村人は新国土建設の熱情に 燃え、しかも温かき同胞愛によって愛着のある土地を都会人に解放し、忍びかたき 苦痛を新日本建設のために捧げねばならない。特に石原莞爾平和思想研究会の同志 は、やがて報いられ、美しく新しき村づくりを実現させましょう。
全国民はすべて農村に従事する。その耕作の限度は自家食料の自給をもって標準と する。全国民が農耕を営み、各家庭の主労働力は各種の職業(主として工業)に従事 し、家族労働力をもって自家食料を生産するものとすれば、食糧問題は根本的に解 決し、農業生産と工業生産は矛盾なく拡充し、農工一体の産業理想が実現となりま す。
自家食料の自給はなるべく狭小な土地によることを誇りとすべきで、東北地方では5 人家族として中等の土地三反以内、関東以西は二反以内で足りるでしょう。通常は 主婦の労力により、休日や朝夕には主人も加わって二反以内を耕作することは決し て過重の労働ではありません。家族一同が天地の恵みに浴して作物の手入れをする ことは無上の慰安であり修養であり、殊に子供等にとっては天国の如き生活となる でしょう。
国民皆農を合理的に行うには、畜力、機械力を高度に利用して、隣組等の共同耕作 を実行し、労力を効率的に運営することが特に重要です。国民皆農の実現過程に於 いては、都市に残存する人口といえども副食物は自給すべきです。一方新農村に対 する農業指導をなすためにも、まだまだ食料を自給し得ざる人々のためにも、食料 の多量生産を目的とする専業農家かが必要です。
その理想は、反当収量を減ずることなくなるべく多くの土地を経営するにあります が、農家一戸当り耕地面積に3倍する三町歩(東北地方四町歩、北海道は十町歩)前後 の耕地を、畜力、機械力を利用して能率高く経営することを目下の目標とすべきで す。生産力低き土地に於いては農工一体の経営は困難であって、大規模農場経営を 必要とし、高度の機械化を要求するでしょう。
都市人口の農村への移動は工業の進出と並行して行われるのを理想としますが、農 村はこれを待つことなく、一次の犠牲を忍び出来る限りの人口を収容しつつ、耕地 の整理分合、導水路改廃、新墾、土地改良等に努力して、自ら専業農家と自給農家 に分かれる態勢を整えることが最も望ましいでしょう。工業の進出とともに専業農 家は分解してその数を減じ、林産、繊維、バルブ、燃料等の原料を生産するものの みが専業農家として残り、国民皆農の理想が完成するでしょう。
国民皆農、農工一体の新しき国土に於いては、健全なる農村的環境に培われる優秀 な労働力と、運輸、通信、動力等の発展に即応して適宜配置する工場ないし作業場 の分散組織によって、最も健全にして高き生産力の実現が可能となります。また工 業の地方分散が農業および農村生活に科学、殊に機会と電気の恩恵は、国民民農を 予想する我等の特に待望するところであり、国民の能力はこれによって飛躍的に向 上するものと考えられます。
都市による農村支配、農業と工業の対立は意義深き終焉を告げる。高き経済力と豊 かな文化的生活は国民皆農によって獲得する事が出来るのです。従って小作問題等 も以上の如き経済力向上に初めて自然的かつ根本的解決を期待できるでしょう。今 日都市に残存せる莫大な労働力は、合理的に生産の配置に就くことが出来ます。農 村人口の減少が社会経済発展上の必然的帰結なりとする如き、人口政策上の過去の 思想は清算され、剛健簡素な農村的国民生活の徹底により、国民のすべてが健全に 機能するでしょう。
日本の農家戸数はほぼ550万戸、耕地面積6百万町歩なるに対し、非農家戸数は約8百 万戸、可耕未墾地は、水あり作物成育して人間生活が可能であるとの条件をもって 調査すれば3百万町歩に及ぶといわれています。高き科学、技術を採用し、健全な自 足生活を楽しむ国民皆農の日本には、労力不足も土地不足もあり得ません。更に進 んで池本喜三夫氏の山地征服論が実現するならば、日本の国土は風貌を一変し、数 億の人口を容れる極楽の地となることも考えられるのです。
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