7月12日は父の命日です。この日に合わせて父が愛した石原莞爾平和思想研究会 の会合を行いました。土曜日のお昼ということで全国から大勢の方が参加しまし た。そこで誰が父の命日のことを言い出してくれるのかと期待していたのだが、時 は流れ、人は減り最後の最後まで言い出してくれる方は一人もいなかった。その残 念な思いに重なるものは同級生だった若い頃からの友人です。
昔はよく一緒に遊んでいた友人ですが、ここ10年間は全く会う事もなかった。だ が、私の父が亡くなってまもなくして音信不通だった友人が私や母の許へ、電話を して訪ねてくるようになった。親父が死ぬまでは何年も電話で話す事も会うことも なかったのに、「近所に来るついでがあったから」「会社が近くで時間があるか ら」などと言っては手土産をもって現れ、「親父さんに、そなえてやって」と差し 出すこともあった。
親父が亡くなり月日が経過して、ある事実に気が付いて愕然としました。電話をく れた友人は、いろいろと来訪の理由を言っていたが、実は俺のことが心配で、わざ わざ連絡してくれていたのだ。だが、最近は親しくしていない自分のことを、これ ほど親身になって心配してくれる理由が、どうしてもわからなかった。そんなある 日、遠い昔の出来事を、ふと思い出した。
彼の親父は私の親父とはとても仲がよかった。将棋が好きな親父さんだったので会 社の役員を勇退した後もよく彼の家に将棋を指しに行っていました。だが、その親 父さんを、病気で亡くなってしまったのである。彼は末っ子で、親父さんに一番可 愛がられていた。上二人の兄は結婚して早く家を出て独立したので親父さんの愛を 一身に受けていた。もう何十年も前の、彼の親父さんの事を思い出したのです。
これまで彼の亡くなった親父のことなど、すっかり忘れてしまっていた。彼も、大 切な親父を亡くしていたのである。私はそのことを思い出して直ぐに、久し振りに 彼の家を訪ねた。あいにく彼は既に家を出ておりお母さんしかいなかった。だが、 電話をしていただき話す事ができた。誠意を持って訪ねてきてくれていた彼に、親 父さんが死んだことを忘れていたと告白するのは勇気がいったが、正直に話して詫 びたのである。
しかし彼は、別段腹を立てた様子もなかった。「うちなんかもう父親のことを覚え ているのは、母と俺だけだ。はじめは、父親のことを皆の胸に確りととどめておい て欲しいと思って、法要のたびに、だれか何か言ってきてくれないかと心待ちにし ていた頃もあったが、それもこちらの身勝手だと考えるようになった。君が葬式に 来てくれたとき、本当に嬉しかったよ。あの時君は泣いてくれた。俺の前に来て、 精一杯慰めてくれた。泣き崩れる俺を支えながら、一緒に涙を流している君を見た とき、俺は本当にありがたいと思った。」
彼は、父親の葬儀のことをつい昨日のことのように話しながら、声を震わせてい た。そして彼はまた、親父を亡くした私を、心配でならなかったと打ち明けた。親 父の死から暫くの間、何をするのも虚しく、親父を苦しめた奴をぶん殴りいくので はないかと考えた。そんな馬鹿なことをするはずがないとわかっていても、かつて の自分自身をみるようで放ってはおけず、様子を見に伺ったのだと告白した。
随分、あれから時が過ぎていたのに親父を亡くした2人が、新たな出会いを与えられ たのは、天国にいる2人の親父のおかげだと、感じている。しかし、他人の痛みや悲 しみに対し、同じ体験を経ることなくして気づく事はできないものなのか。自分の 体験出来ることなど、ほんの一握りのことでしかないのだとしたら、他人を理解す るのは無理なのか。何十年も記憶から消えていた、友人の悲しみに自らを重ねた出 来事でした。
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