国旗の色やデザインには、地理的な位置、宗教、歴史など、その国の実情を反映し たものがよく見られます。たとえば、イスラム教国には、緑を用いた国旗が多いで す。これは、マホメット(ムハンマド)のターバンの色またはコートの色が、緑色だ ったといわれていることに由来します。
イスラム教国の国旗には、また、月をモチーフに用いたものがよく見られます。こ れは、トルコの国旗が、古くから月と星をシンボルとしたものなので、その影響を 受けたものだそうです。逆にヨーロッパには、この月や星を国旗に用いたものはな い。中世の十字軍遠征の時代、ヨーロッパ諸国は、月と星をシンボルとするトルコ と戦ったからです。
かわりに、ヨーロッパによく見られるのが、十字をモチーフにした国旗です。これ はキリスト教の十字架の影響は間違いないでしょう。また、ヨーロッパでは、三色 旗が多いです。これはオランダの国旗を各国が真似したものらしい。アフリカに行 くと、赤、黄、緑の三色を組み合わせた国旗が多いです。
これは、1960年代にアフリカで多くの独立国が生まれた時、古くからの独立国であ るエチオピアの国旗に使われていたこの三色を、アフリカの色として取り入れたか らです。イデオロギーが反映した国旗もあります。かつての東西冷戦時代、共産圏 では、五稜星を国旗に用いている国が多く見られました。
共産主義が五大陸に広まるようにという意味合いからといわれたが、現在でも星が 残っているのは中国、北朝鮮、ベトナムの国旗だけになってしまいました。ちなみ にイラク共和国の国旗の意味は、赤色は勇気、白色は寛容、緑色はイスラム教、黒 色はイスラム教の伝統と栄光を象徴しているそうです。また星は近隣国との友好を 表わしており、アラビア文字の意味はコーランの一節で「アラーの神は偉大なり」 と書かれています。
最期にパラオの国旗について触れておきます。パラオは過去日本人が統治していま した。パラオの人々は「日本人は厳しかったが、農業と真面目に働く事、嘘をつか ないことを教えてくれた」と今でも語っています。第二次世界大戦末期、米軍がパ ラオに迫り、上陸してくるという時に、パラオ人は驚くことに、「我々も日本人と 一緒に米軍と戦う」と決意したのです。
しかし民間人に被害が出る事を懸念した日本軍はそれを許さず、貴重な船舶を使い パラオ人全員を他の島へ避難させたのです。そして戦闘が終わり、パラオ人が島へ 帰るとそこには日本人の遺体が多数放置されていました。パラオ人は泣きながら丁 重に遺体を埋葬し日本人がいつ来てもいいようにと墓の掃除を今でも欠かさないと 言います。
終戦を向かえ日本のかわりに米国が統治する事になりましたが、パラオの人々は日 本への感謝の念を忘れる事はありませんでした。1994年にパラオはアメリカか ら独立する事となりました。それに際して国旗を制定する事となったパラオは、敬 愛なる日本の日の丸と同じデザインにする事を決めたのです。
黄色い丸に背景は青です。青い海に月の光を表します。だが、月が中心より少しず れているのです。これは日の丸と全く同じデザインだと日本国に失礼だからとのパ ラオの配慮だそうです。独立式典ではパラオ国歌の後、日本の君が代が流れて、パ ラオは独立を宣言したのです。
米国の統治は50年にも及びましたが、パラオの人々の心に残っているのは米国の統 治が始まる前の50年前に滞在した日本人だったのです。日本が短い統治の間にパラ オの人々の心に残したものはなんだったのでしょうか。今でもパラオ人の8割の方 は日本人への親愛の証に、その姓名のどちらかに日本の名前を付けているのです。
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