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146/ 「アメリカ」は誤解から生まれた!
・投稿者/ タク
・投稿日/ 2009/02/10(Tue) 06:23:53
・URL/ http://members.jcom.home.ne.jp/taku-nakajo/index.htm

    アメリカ大陸を発見したコロンブスは、1492年に航海に出かけバハマ諸島の中のひ
    とつの島、サン・サルバトルに到着しました。その後も何度か航海を繰り返し、キ
    ューバ・ハイチ・ジャマイカ・アメリカ大陸を探検し、ヨーロッパ人にとっての新
    世界を切り開きました。だが、彼は死ぬまで、そうした土地がインドの一部だと信
    じ込んでいたのです。

    アメリカが独立した大陸であることを最初に宣言したのは、1507年に世界最初のア
    メリカ入り地図を製作したマルティン・ヴァルトゼーミュラーです。彼はインドと
    ヨーロッパの間に細長い大陸を描き、この大陸が新世界であることを宣言しまし
    た。そして発見者にちなんで、「アメリカ」と名づけることを提案したのです。

    なぜ、発見者である「コロンブス」にちなんだ名前が「アメリカ」なのか疑問に思
    うかもしれませんが、実はヴァルトゼーミュラーは、アメリカ大陸の発見者はコロ
    ンブスではなく、フィレンツェ人のアメリゴ・ヴェスプッチだと勘違いしていたの
    です。

    「アメリゴ」という洗礼名をラテン語化したものが「アメリカ」。だから、それを
    新大陸の名前につけようとしたのです。アメリゴ・ヴェスプッチは、1501年に南ア
    メリカの大西洋岸を航海したが、それはすでにコロンブスがアメリカ大陸を発見し
    たあとでした。

    しかし、商人出身だった彼は、自分を売り込むのがうまく、自分の航海の様子をあ
    ちらこちらで話していたので、それが、ヴァルトゼーミュラーの耳にも届いて、彼
    が新大陸を発見したのだとすっかり誤解してしまったのでした。

    誤解が生みだしたアメリカという名前。もしも、ヴァルトゼーミュラーが真実を知
    っていたら、アメリカはきっと別の名前になっていたに違いないでしょう。いった
    いどんな名前がつけられていたのだろうか。謎です。

    まぁ〜そう言っても大陸にはアジアの人間が最初から平和に暮らしていたのは確か
    なことです。日本人も小さい島から大陸に渡り独自の文明を育んでいたときも、世
    界支配を目指すヨーロッパ人同士の争いは続いていました。産業革命が白人をスー
    パー侵略者に変貌させました。太平洋諸島とアジアの現地住民はもともと争いを好
    まなかったから、科学の力を身につけたエネルギッシュな白人たちに征服されて行
    きました。

    銃で武装した白人からみれば、槍を持つ現地住民など物の数ではなかったし、大砲
    を積んだ蒸気機関の軍艦を、帆掛け舟と弓矢で追い返すことなどできるはずもなか
    ったのです。世界未開発地域は、ヨーロッパのいずれかの白人の国に占領され、支
    配されていきました。

    ヨーロッパ人はアメリカ大陸に侵入し、アフリカを分割支配し、東南アジアを呑み
    込み、極東に進出しました。シベリア北部に進出し、カムチャッカを占領し、千島
    列島を日本に向って南下していたロシアは、アメリカ大陸に飛び移ってアラスカを
    占領し、カナダ国境でイギリスとぶつかりました。

    こうして日本人やインディアンは、アメリカ大陸で虐待を受けて追い出されてしま
    い。北から南下してくるロシアに挟まれる形となったのです。日本はまさに包囲さ
    れてしまったのです。そして19世紀後半、アメリカが袋のねずみの最後のアジア
    黄色人種・日本人を包囲して完成させるのです。



145/ 大統領候補アインシュタイン
・投稿者/ タク
・投稿日/ 2009/02/10(Tue) 06:22:41
・URL/ http://members.jcom.home.ne.jp/taku-nakajo/index.htm


    現代物理学の創始者で、二十世紀のもっとも著名な理論物理学者であるアインシュ
    タイン。ユダヤ系の子として南ドイツで生まれたが、高校中退の時にドイツ国籍を
    放棄して、やがてスイスの国籍を取得。第一次世界大戦中から平和主義的立場をと
    ってドイツ政府支持の声明に署名せず、国際連帯を訴える声明を出しています。

    とくにユダヤ人やユダヤ教を意識していたわけではないが、国家を背負うことなく
    活動して国際的科学者の先駆者となったアインシュタインは、反ユダヤ主義反動勢
    力の攻撃の的となり、ナチス政府樹立とともにドイツの市民権を奪われ、アメリカ
    へと渡ることになるのです。

    1920年代にはシオニズム運動を熱心に支援するようになったアインシュタインの活
    動が認められ、第二次世界大戦後に独立を達成したイスラエルの大統領候補に推薦
    されたことまでありました。

    戦後、原爆の惨状を知って衝撃を受け、核兵器の廃絶を訴えるために、核兵器廃絶
    運動を推進しました。ナチスの原爆開発を警告する手紙をアメリカ大統領に書いた
    ため「原爆の父」と誤解されることもあるが、アインシュタイン自身は、核分裂を
    兵器に利用する考えに驚き、原子爆弾が近い将来実現するとは考えていなかったと
    いわれています。

    ユダヤ人のアインシュタイン博士の言葉として有名な次の話があります。即ちアイ
    ンシュタインが相対性原理を発表し、1922年に講演に日本を訪れ、東北大学での話
    しに、伊勢神宮を参拝し非常な感銘を受け「近代日本の発達程、世界を驚かしたも
    のはない。この驚異的な発展には、他の国と異なる何ものかが無くてはならな
    い。」

    「果たせるかな、この国の三千年の歴史がそれであった。この長い歴史を通じて一
    系の天皇をいただいているということが今日の日本をあらせしめたのである。私は
    このような尊い国が世界に一箇所位無くてはならないと考えていた。なぜなら世界
    の未来は進むだけ進み、その間幾度か戦いは繰り返されて、最後には戦いに疲れる
    時がくる。」

    「その時人類はまことの平和を求めて世界的な盟主を挙げねばならない。この世界
    の盟主たるものは、武力や金力でなく、あらゆる国の歴史を抜き超えた最も古くま
    た尊い病柄でなくてはならぬ。世界の文化はアジアに始まって、アジアに帰る。そ
    れはアジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない。吾々は神に感謝する。吾々に日
    本という尊い国を作って置いてくれたことを・・・。」と。アインシュタインは言
    う。



144/ 決断するための道
・投稿者/ タク
・投稿日/ 2009/02/08(Sun) 08:38:34
・URL/ http://members.jcom.home.ne.jp/taku-nakajo/index.htm


    何かを思いついた時、選択をしなければならない時、心の中では失敗したらどうす
    ると思うときがあります。人間は直感によって、あるいは周囲の状況がそうさせる
    場合もありますが、新しい一歩を踏み出す時、何らかの変化を必要とする時、それ
    は人間形成を大きく成長させる機会でもあるし、危険を伴うものでもあります。

    決断する時は、心配、失敗、恐ろしさが、走馬灯のように駆け巡ります。不安は前
    面に出てきますが、しないことによって、チャンスを逃してしまうリスクがありま
    す。人生で決定的ともいえる出来事の特徴は、今までにやったことのない事や行っ
    た事のない事です。慎重さはとても大切ですが、しかし、何ごとに対して慎重にな
    るべきか、考える必要があります。

    慎重になるのは、自分の動機がどこからやって来るのかを見極めることです。それ
    は恐れからやってくるのでしょうか、それとも本当に望むことからやってくるので
    しょうか?決断にはタイミングが大事な場合があります。決断が遅れることで、取
    り返しのつかないことになってしまう場合もありますので、この問題はいつまでに
    決めたほうがいいと、考えておいたほうがいいでしょう。

    期限が決まっていない時でも、自分なりに期限を決めて考えてみてはどうでしょ
    う。期限が迫らないと、答えを決定できない人も多いのではないでしょうか。決断
    の際には「一番大事にしたいのは何?」と自問してみます。それがわかれば、選択
    できるでしょう。一番大事なものを選択するためには他のものを捨てる決心も必要
    です。

    何かを実行に移せば、慣れないことに苦労して、様々な困難に出遭い、失敗するこ
    ともあります。そんな当たり前のことでも、恐れていたら決断できません。リスク
    を覚悟すれば決断できるかもしれません。人生の選択を行った結果を実際には比較
    はできません。自分が経験できるのは自分が一つだけ選んだ結果だけです。自分が
    後悔さえしなければその選択の是非が問題になることはありません。

    だが、どれだけ行動を起こしても悔いというものは残るのです。その悔いを少しで
    も消し去るために最善を尽くす生き方をしようと考えることも、後悔しない決意だ
    と思います。何もしないよりは必ずいい経験として価値になると考えられれば、積
    極的な決断ができるでしょう。将来の成り行きは誰が考えてもわかりません。最終
    的には「なるようにしかならない」と考えることで気持ちが和らぐのではないでし
    ょうか。

    そして、決断というと積極的な選択肢を選ぶことですが、「このままの状態」とい
    うのも立派な選択肢だと思います。自分の現在の状況は、自分と現実に向き合った
    状況のはずです。人生には決断すべき大事な時があります。判断を誤り、悔いを残
    さないように最善の努力を行うことが肝要だと思うのです。

    生きていれば重大な選択をしなければならない場合はいくらでもあります。だが、
    重大な選択をしても、それがすべてではありません。選択したことを考えすぎて、
    選択すべきではなかったと思うのは悪い考えです。「これで良かったのだろうか」
    「他の選択が良かったのではないか」などと考えるのはいけないと思います。

    一度自分で悩み選択したら、「これでいい」「これで良かったのだ」と思うように
    これからの未来を生きる努力をすることが大事なのではないでしょうか。選択した
    生活の中で精一杯努力することが大切でしょう。一番良くない考え方は、過去の選
    択を後悔しながら生きることです。「選択を誤った」「あの時こうすれば」などと
    考え、それを考え続け今できる努力を怠ることです。

    過去に自分が望んだ選択が実行に移せずに後悔する人もいます。それを他人のせい
    にして、運が悪かったと嘆いている人もいます。後悔して、自分や他人を責め、落
    ち込んでいても仕方がありません。後悔でなく、反省しようと考え、その出来事か
    ら学び、今後の人生に活かせればいいのではないでしょうか。

    後悔しそうになった時には、後悔しないように、今を大切にしようと考えてみては
    いかがでしょうか。その問題を考えている時間にも、今の人生を大切にすることが
    重要です。少しでも力を抜いて考えることができたらいいのではないでしょうか。
    その選択によって、人生の不幸が決定してしまうわけではありません。その選択よ
    り、その後の生き方の方が大切ではないでしょうか。選択したのだから、もう後に
    は戻れないのです。

    ここで、俺の励みになった詩を紹介します。「歩む者のない道」黄色い森の中で道
    が二つに分かれていた。残念だが両方の道を進むわけにはいかない。一人で旅する
    私は、長い間そこにたたずみ一方の道の先を見透かそうとした。その先は折れ、草
    むらの中に消えている。

    それから、もう一方の道を歩み始めた。一見同じようだがこちらの方が良さそう
    だ。なぜならこちらは草ぼうぼうで誰かが通るのを待っていたから。本当は二つと
    も同じようなものだったけれど。

    ある朝、二つの道は同じように見えた。枯葉の上には足跡一つ見えなかった。あっ
    ちの道はまたの機会にしよう!でも、道が先へ先へとつながることを知る私は再び
    同じ場所に戻ってくることはないだろうと思っていた。

    いま深いためいきとともに私はこれを告げる。ずっとずっと昔、森の中で道が二つ
    に分かれていた。そして私は・・・そして私は人があまり通っていない道を選ん
    だ。そのためにどんなに大きな違いができたことか。ロバート・フロスト



143/ 防衛予算と大学校
・投稿者/ タク
・投稿日/ 2009/02/08(Sun) 08:37:36
・URL/ http://members.jcom.home.ne.jp/taku-nakajo/index.htm


    日本の防衛予算は約5兆円で、アメリカに次いで世界第2位です。第3位から第6位
    は、イギリス、フランス、ドイツ、中国の順番で4兆円〜3兆円に収まっていま
    す。一方、かつてのアメリカのライバルだったロシアは1兆円に届くか届かない程
    度です。

    その他、イタリア・サウジアラビアが約2兆円、ブラジルが1兆7000億、イン
    ド1兆5000億、韓国1兆3000億、イスラエル1兆と続き、これが、1兆円
    国です。

    だが、企業の売上げや収益と違い、軍事予算だけで強い国とは一概にはいえませ
    ん。例えば、日本と中国の金額には2倍も離れていないが、「兵力」では日本の10
    倍、さらに核兵器も所持しているのです。

    防衛予算の中には防衛大学校があり幹部自衛官を育成する学校があります。名称が
    大学ではなく大学校というのは、学校教育法で設立された学校ではないため、以前
    は卒業しても学位が与えられなかったのですが、1991年以降改められました。

    受験資格は一般の大学とほとんど変わらないのですが、違いは22歳までという年
    齢の上限と、日本国籍を有していなければならないという点です。女性は、199
    2年から入学可能となり、試験は9月頃の推薦入試と11月の一般入試があり、難
    易度は東京6大学レベルといわれています。

    入学すると、学生は国家公務員扱いとなり、毎月約11万円の学生手当とボーナス
    もでます。いいよなぁ〜と感じますが、学生生活はとても厳しいです。全寮制の学
    生寮は一部屋に4人で、そこへ1年生から4年生が同居します。

    これは集団生活を通して上下関係と団結力を学び、後の幹部自衛官としての素質に
    磨きをかけるためだそうです。3年生になるまでは平日、放課後の外出も許されて
    いないのです。陸海空の進路は2学年に進級するときに決定して、以後はそれぞれ
    の専門分野での教育を受けることになります。

    クラスは完全に縦割り制で1年生から4年生までが組ごとに集まり大隊をつくり、
    リーダーとして大隊長が選ばれます。大隊長の上には学生隊学生長というポジショ
    ンがあり、これを務めれば後の将官は間違いないと言われています。

    卒業後はそのまま入隊して曹長に任命され、陸海空それぞれの幹部候補生学校へ進
    むのです。これを卒業すれば3尉へと昇進し、その後、幹部自衛官として活躍する
    ことになるのです。なお、卒業後の進路は決して強制されず、自衛官にならない
    で、一般企業に就職する者も毎年数名いるそうです。その数名のひとりがグットウ
    ィルの社長だったりもします。



142/ ワシントンの逸話は嘘
・投稿者/ タク
・投稿日/ 2009/02/06(Fri) 18:36:41
・URL/ http://members.jcom.home.ne.jp/taku-nakajo/index.htm

    アメリカ建国の父ジョージ・ワシントンには、有名な逸話があります。6歳のとき、
    斧に興味を持ったワシントンは、どうしてもその斧を試してみたくなり、庭の木を
    傷つけてしまいます。それは父親がとても大切にしていた桜の木でした。

    翌日、傷に気づいた父親が周囲に問いただしたところ、ワシントンが、自分が犯人
    であることを正直に打ち明けたというのです。この話は、ロック・ウィームズとい
    う牧師が1800年に出版した『逸話で綴るワシントンの生涯』という本で紹介され、
    ワシントンは「正直な人」として大いに敬服されることとなったのです。

    しかし、世界的に有名なこの桜の木の逸話は、実は全くの嘘。この逸話は、1806年
    に第五版が出版された時にあとから付け加えられたものであり、本が売れに売れ
    て、どんどん評判になるにつれて、さらに興味深い逸話を掲載したいと思った著者
    が、勝手にでっち上げてしまった話だったのです。

    この本では、若い頃の貧乏も強調されているし、ワシントンの愛国心を宗教的なも
    のにまで高める逸話もかなりでっちあげられています。ワシントンは確かに正直な
    人だったが、本によって大げさにされた部分も多かったようです。

    桜の木といえば日本では、桜前線が南から上がって来ると、吉野は満開かな、小田
    原はどうだろう、千鳥ヶ淵や井の頭公園は来週かな、弘前の桜はいつになるだろう
    などと、みな自分の知っている桜の名所が気になりだす。桜前線が地元に至ると、
    今度は天候を心配します。天候を心配するのは、花見の幹事だけではありません。
    桜は人生そのものの象徴だから、誰もが気になって仕方ないのです。

    米国ワシントンのポトマック川沿いにも、荒川堤から持っていった美しい桜が咲き
    ます。日本の桜より美しいと言います。しかし、アメリカ人にとってそれは「オ
    ー・ワンダフル」「オー・ビューティフル」と眺める対象に過ぎません。そこに儚
    い人生を投影しつつ美しさに感激してそこに止まる暇人はいないのです。

    ちなみにアメリカで英国から独立を主張したものは、たったの12人だけでそれが、
    あっという間に12州になり、州を増やしながらアメリカ合衆国をつくりあげまし
    た。ワシントンが首都に決定したのは、独立戦争の時に遡ります。

    最初はニューヨーク、フィラデルフィア、アナポリスなどの候補地がありました
    が、各都市の利害関係でまとまらない為、新しい町に首都をつくることに決まりま
    した。初代大統領ジョージ・ワシントンが現在の場所を選びました。都市の名前は
    アメリカの初代大統領の名前をとって「ワシントン」とすることに決定したので
    す。

    都市の設計はフランスの建築家にお願いをして、街路樹の立ち並ぶ広い通り、記念
    碑などが建てられました。独立を主張した12人という数字ですが、太陽は1年で1
    2星座を一巡しますが、月は一ヶ月で12星座を一巡します。一ヶ月は12ヶ月で一
    年です。12という数字は生命界のいたるところにその影響を及ぼしているのです
    (笑)



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